2023年03月11日

河東5

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須坂駅の南、正面が廃止された河東線屋代方面、右へ曲がる方が長野線長野方面。長野発着がメインになった後も国鉄からの急行乗り入れが河東線経由で行われていました。信越本線非電化時代はアプト区間対応の急行型キハ57、1963年の電化後は165系、さらにEF63協調運転対応の169系による急行「志賀」が1982年まで上野・湯田中間を直通。併結でなく単独運転の優等列車乗り入れは珍しく、観光輸送・地方私鉄乗り入れの代表格でした。

上野駅から169系がやってきた線路は途切れて、留置線に変わっています。
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2023年03月10日

河東4

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須坂駅の駅舎寄り、使われていない5番線。結局、長野発着がメインルートになってしまったため、廃止前から河東線の松代・屋代方面は須坂発着の区間運転のみ。4・5番線は長野方面に繋がっていないため、狭い5番線は閉鎖されてしまいました。

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河東線の屋代・木島間が1925年に開通した後、信州中野駅から志賀高原へ向かう山の内線と須坂駅から長野駅に乗り入れる長野線が開通。河東線は木島駅、山の内線は湯田中駅までで、以降に延伸される事はありませんでした。屋代・須坂間と信州中野・木島間は廃止されて1路線に統合されましたが、須坂駅は地域の中心地として存在しています。
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2023年03月09日

河東3

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千曲川東側に位置する須坂駅。今も長野電鉄の車庫と工場がある拠点。

信越本線長野駅の南、屋代駅から飯山・野沢を目指して1922年に開業した河東鉄道が長野電鉄の母体。長野駅の北に位置する豊野駅から千曲川の西側を平行する飯山鉄道が1921年に開業済みで、1926年に電車化、社名の変更、1928年には須坂駅から長野駅まで支線を伸ばして対抗しました。
タグ:私鉄EC

2023年03月08日

河東2

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車体の連結部に台車がある連接車。様々な試作車が幾度も生まれながら、小田急の特急車でのみ引き継がれてきた連接構造。
タグ:私鉄特急

2023年03月07日

河東1

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空港アクセスを離れて、長野の街へ転身した253系。原色に近い赤が目立つ有料特急。
タグ:私鉄特急 253

2023年03月06日

高地の鉄路13

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市街地を離れて、冬枯れた果樹園の間を。雪がちらつき始めた鉄路。
タグ:私鉄EC

2023年03月05日

高地の鉄路12

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標識がなければわからない、小さすぎる踏切。あぜ道を横切る地下鉄の電車。
タグ:私鉄EC

2023年03月04日

外郭環状46

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郷土の森交通遊園で保存されている都電6191。交通遊園の中では新参だった都電もすっかり公園の一部になりました。
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2023年03月03日

外郭環状45

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郷土の森交通遊園で保存されているEB10-1。都内の王子駅から分かれていた貨物線で弾薬の扱いが始まり、蒸気機関車の後継で1927年に製造された蓄電池式機関車AB10。貨物線の電化で1932年にパンタグラフを積んだ電気機関車EB10に改造され、1971年の廃線まで使われました。

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国鉄機では最小でしたが2軸車の割に大柄で、軸重10t未満の私鉄小型D級と比べて、2軸で軸重11tと重厚。他に例のない国鉄の希少車がD51とともに保存されています。
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2023年03月02日

外郭環状44

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郷土の森交通遊園で保存されているD51-296。東北本線・奥羽本線電化完成で廃車になった1972年から保存。まだ下河原線が現役時代の出来事でした。
タグ:D51