2020年07月08日

静寂の浜辺17

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浜川崎駅から鶴見方面へ。鶴見線は電車と地上の施設を通った貨物列車が複線を共用。高架の単線は川崎貨物駅への連絡線で、膨大だった鶴見線の貨物を浜川崎駅を通さずに新設された操車場へ分散するためのものでした。
タグ:線路
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この記事へのコメント
こんにちは。
お写真の短絡線、実際に貨物列車が走っていた期間は短かったのだろうと思います。
浜川崎がパンクするほどに貨物が集まり、塩浜操車場ができた後、鶴見線の貨物は凋落する一方だったことと思います。
長く使われないままになっている高架線を見ていますと、良くも悪くも国鉄的なものを感じ、好きな風景です。
浜川崎辺りを訪ねたときには、列車の走っていた頃を想像したりしています。
Posted by 風旅記 at 2025年03月18日 10:12
おはようございます。
高架線が造られたのは1970年台始めで操車場建設より遅く、鶴見線や国鉄を取り巻く状況が変わり始めた時期の初めくらいでしょうか。
そう考えると、貨物列車がほとんどない線路の傍らに残った姿は鶴見線の歴史を物語る象徴のようですね。
Posted by 武蔵宮 at 2025年03月19日 08:26
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