2025年01月29日

静寂の浜辺50

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鉄橋をくぐる鶴見線。パイプライン用で使われている古い橋が浜川崎地区と水江地区を繋いでいた日本鋼管専用鉄道の記憶を呼び覚まします。
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この記事へのコメント
連続のコメントにて失礼いたします。
鶴見線沿線の専用線は、昭和の中頃まではきっと無数にあって、全貌を把握するのは難しかったのではないかとさえ思います。
現役のものは、安善駅、旧浜安善駅周辺の米軍関係や、新芝浦駅の東芝の工場への分岐の線路を見たことがあるだけですが、あちこちに機関車が行き交っていた様子は、やはり見てみたかったものです。
こちらの記事で専用線の遺構はまだまだ残っていると知ることができましたので、訪ねる機会があれば往時を想像しながら見てみたくなりました。
別の記事にも書いていらっしゃいましたが、浜川崎が拠点として機能していて、もっと賑やかだったのでしょうね。
今は構内に入らずに、直接川崎貨物に抜ける貨物列車が向こうを通過していくのを見るばかりです。
Posted by 風旅記 at 2025年01月31日 15:47
どうもありがとうございます。
鶴見線から広がる専用線とともに日本鋼管の専用鉄道が一体を網羅していた1960年台が最も活気にあふれていた頃でしょうか。
当時は開発途上の埋立地も多くて今ある貨物線の開通以前、川崎の貨物輸送は浜川崎駅に集中し、それに合わせて工場も造られたので、煙で曇った鉄骨の街が湾岸まで果てしなく広がっていたのかもしれません。
戦後復興を支えた工場施設の老朽化と埋立地の増加が同時だったので工場の移転が進み、段々と沿線の景色が変わって専用線の分岐点もほとんど無くなってしまった鶴見線は、どこか時代の変化に取り残された感じもあります。
それはそれで一つの風情ではありますが、侘しげな線路沿いには「時代の落とし物」が時々残されているので、ときどき埋立地の道を歩いてみたくなります。
Posted by 武蔵宮 at 2025年02月01日 15:20
お返事ありがとうございました。
勉強になりました。
浜川崎駅を訪ねると目に入ります、鶴見線と川崎貨物駅方面を直結している高架の廃線、鶴見線の貨物輸送を改善しようとしても、むなしく短期間で役割がなくなってしまった痕跡なのだろうと思っていました。
工場の移転など沿線の環境が変わっても、鉄道はなかなか作り変えることができません。
閑散とした浜川崎の光景は、隆盛を誇った時代の残影ゆえの一際の寂しさなのかもしれません。
Posted by 風旅記 at 2025年02月03日 04:47
おはようございます。
残念ながら鶴見線の貨物輸送は少なくなってしまいましたが、羽田空港の方から桜木町へ至る新線構想と重なるため、遠い先に浜川崎駅は通勤電車のジャンクションに変わる未来があるのかもしれません。
既に線路が途切れてしまっている高架線は電車が走る日を夢見て眠りについているのかもしれませんね。
侘しい景観の先には、これまでの歩みと同じくらい、この先も大きな変遷があると期待したいところです。
Posted by 武蔵宮 at 2025年02月04日 08:20
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