スマートフォン専用ページを表示
JNR-M
いつかどこかで見た世界。あの頃と同じ景色、違う景色。
地元の大宮や旅先で目にしてきた機関車・客車・貨車、
線路のある風景などを載せております。
<<
2025年03月
>>
日
月
火
水
木
金
土
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
13
14
15
16
17
18
19
20
21
22
23
24
25
26
27
28
29
30
31
記事内検索
プロフィール
名前:武蔵宮
誕生日:5月30日
拠点:大宮
※※※※※※
記事が多いので、のんびり
お楽しみ頂けますと幸いです。
広告なしの安心・軽量構成です。
コメントはご自由にどうぞ。
ハンドルネームが必須です。
コメントは消せませんので、
責任を持って投稿して下さいね。
悪質な投稿、写真の転載などには、
厳正に対処する場合があります。
ブログ(ここ)
https://jnr-m.sakura.ne.jp/r/
イラスト関係のページ
https://jnr-m.sakura.ne.jp/
イラスト関係のX
@Musashino_JNRM
メール(『◎』を『@』へ変えて)
jnr-m◎zau.att.ne.jp
タグ一覧
10
103
105
107
113
115
117
12
121
14
143
145
165
169
183
185
189
20
201
205
211
213
215
24
251
253
285
301
381
413
415
417
455
475
485
50
583
651
711
719
8620
9600
C10
C11
C12
C50
C55
C56
C57
C58
C59
C60
C61
C62
D51
D52
D60
D61
DD13
DD14
DD15
DD16
DD200
DD51
DD53
DD54
DE10
DE11
DE15
DE50
DF200
DF50
EB10
ED15
ED16
ED42
ED60
ED62
ED70
ED71
ED72
ED75
ED76
ED77
ED78
ED79
ED91
EF10
EF15
EF16
EF200
EF210
EF30
EF500
EF510
EF52
EF53
EF55
EF57
EF58
EF59
EF60
EF61
EF62
EF63
EF64
EF65
EF66
EF67
EF70
EF71
EF80
EF81
EH10
EH200
EH500
EH800
HD300
あけぼの
はまなす
カシオペア
キ
キハ10
キハ181
キハ183
キハ20
キハ31
キハ40
キハ54
キハ58
キハ65
キハ80
コキ
シキ
セキ
ソ
タキ
タム
チ
チキ
テキ
トキ
トラ
トワイライト
トンネル
ヒ
ホキ
ヨ
ワキ
ワフ
ワム
ワラ
ヲキ
九州EC
他DC
他DL
他EC
他FC
他PC
他SL
北斗星
北海道DC
北海道EC
古レール
四国DC
四国EC
地下
夕方
夜
大手私鉄EC
富士山
寝台特急
廃線
新幹線
未成線
東日本DC
東日本EC
東海DC
東海EC
桜
橋
特急
私鉄DC
私鉄EC
私鉄EL
私鉄特急
空
線路
花
花火
西日本DC
西日本EC
貨物線
貨物駅
路面電車
転車台
重連
雪
駅
<<
静寂の浜辺49
|
TOP
|
静寂の浜辺51
>>
2025年01月29日
静寂の浜辺50
鉄橋をくぐる鶴見線。パイプライン用で使われている古い橋が浜川崎地区と水江地区を繋いでいた日本鋼管専用鉄道の記憶を呼び覚まします。
タグ:
橋
205
【関東-川崎の最新記事】
静寂の浜辺52
静寂の浜辺51
静寂の浜辺49
at 08:00 |
コメント(4)
|
関東-川崎
この記事へのコメント
連続のコメントにて失礼いたします。
鶴見線沿線の専用線は、昭和の中頃まではきっと無数にあって、全貌を把握するのは難しかったのではないかとさえ思います。
現役のものは、安善駅、旧浜安善駅周辺の米軍関係や、新芝浦駅の東芝の工場への分岐の線路を見たことがあるだけですが、あちこちに機関車が行き交っていた様子は、やはり見てみたかったものです。
こちらの記事で専用線の遺構はまだまだ残っていると知ることができましたので、訪ねる機会があれば往時を想像しながら見てみたくなりました。
別の記事にも書いていらっしゃいましたが、浜川崎が拠点として機能していて、もっと賑やかだったのでしょうね。
今は構内に入らずに、直接川崎貨物に抜ける貨物列車が向こうを通過していくのを見るばかりです。
Posted by
風旅記
at 2025年01月31日 15:47
どうもありがとうございます。
鶴見線から広がる専用線とともに日本鋼管の専用鉄道が一体を網羅していた1960年台が最も活気にあふれていた頃でしょうか。
当時は開発途上の埋立地も多くて今ある貨物線の開通以前、川崎の貨物輸送は浜川崎駅に集中し、それに合わせて工場も造られたので、煙で曇った鉄骨の街が湾岸まで果てしなく広がっていたのかもしれません。
戦後復興を支えた工場施設の老朽化と埋立地の増加が同時だったので工場の移転が進み、段々と沿線の景色が変わって専用線の分岐点もほとんど無くなってしまった鶴見線は、どこか時代の変化に取り残された感じもあります。
それはそれで一つの風情ではありますが、侘しげな線路沿いには「時代の落とし物」が時々残されているので、ときどき埋立地の道を歩いてみたくなります。
Posted by 武蔵宮 at 2025年02月01日 15:20
お返事ありがとうございました。
勉強になりました。
浜川崎駅を訪ねると目に入ります、鶴見線と川崎貨物駅方面を直結している高架の廃線、鶴見線の貨物輸送を改善しようとしても、むなしく短期間で役割がなくなってしまった痕跡なのだろうと思っていました。
工場の移転など沿線の環境が変わっても、鉄道はなかなか作り変えることができません。
閑散とした浜川崎の光景は、隆盛を誇った時代の残影ゆえの一際の寂しさなのかもしれません。
Posted by
風旅記
at 2025年02月03日 04:47
おはようございます。
残念ながら鶴見線の貨物輸送は少なくなってしまいましたが、羽田空港の方から桜木町へ至る新線構想と重なるため、遠い先に浜川崎駅は通勤電車のジャンクションに変わる未来があるのかもしれません。
既に線路が途切れてしまっている高架線は電車が走る日を夢見て眠りについているのかもしれませんね。
侘しい景観の先には、これまでの歩みと同じくらい、この先も大きな変遷があると期待したいところです。
Posted by 武蔵宮 at 2025年02月04日 08:20
コメントを書く
お名前: [必須入力]
メールアドレス:
ホームページアドレス:
コメント: [必須入力]
この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/191117771
この記事へのトラックバック
リンク
にほんブログ村
風旅記
最近のコメント
静寂の浜辺14
⇒ 風旅記 (03/28)
静寂の浜辺17
⇒ 武蔵宮 (03/19)
⇒ 風旅記 (03/18)
静寂の浜辺18
⇒ 武蔵宮 (03/17)
⇒ 風旅記 (03/16)
静寂の浜辺25
⇒ 武蔵宮 (03/15)
⇒ 風旅記 (03/14)
カテゴリ
北海道
(43)
北海道-札幌
(93)
北海道-小樽
(32)
北海道-岩見沢
(44)
北海道-函館
(97)
東北
(53)
東北-青森
(53)
東北-盛岡
(15)
東北-小牛田
(25)
東北-仙台
(42)
東北-福島
(10)
関東-栃木
(27)
関東-群馬
(33)
関東-前橋
(0)
関東-高崎
(17)
関東-茨城
(14)
関東-埼玉
(72)
関東-蓮田
(50)
関東-大宮
(234)
関東-東大宮
(89)
関東-浦和
(36)
関東-熊谷
(27)
関東-高麗川
(24)
関東-都区内
(52)
関東-東京
(4)
関東-田端
(61)
関東-隅田川
(22)
関東-新小岩
(65)
関東-越中島
(45)
関東-品川
(29)
関東-多摩
(21)
関東-神奈川
(30)
関東-新鶴見
(14)
関東-川崎
(73)
関東-横浜
(83)
関東-千葉
(30)
中部-上越
(44)
中部-新潟
(82)
中部-直江津
(0)
中部-信越
(24)
中部-長野
(12)
中部-山梨
(1)
中部-静岡
(40)
中部-富士
(21)
中部-愛知
(16)
中部-名古屋
(91)
中部-稲沢
(75)
中部-四日市
(18)
中部-北陸
(7)
中部-糸魚川
(0)
中部-富山
(21)
中部-敦賀
(11)
関西
(18)
関西-京都
(30)
関西-大阪
(61)
山陽
(25)
山陽-岡山
(33)
山陽-広島
(63)
山陰
(43)
四国
(22)
九州
(71)
連絡船
(10)
津軽鉄道
(5)
同和鉱業
(15)
仙台臨海鉄道
(8)
福島臨海鉄道
(2)
東武鉄道
(221)
上信電鉄
(13)
上毛電気鉄道
(0)
秩父鉄道
(135)
西武鉄道
(55)
埼玉高速鉄道
(4)
京成電鉄
(52)
総武流山電鉄
(13)
帝都高速度交通営団
(43)
東京都交通局
(9)
東京急行電鉄
(14)
京浜急行電鉄
(5)
小田急電鉄
(3)
相模鉄道
(10)
神奈川臨海鉄道
(58)
京葉臨海鉄道
(42)
長野電鉄
(30)
富士急行
(12)
岳南鉄道
(7)
大井川鉄道
(10)
名古屋臨海鉄道
(42)
三岐鉄道
(7)
富山地方鉄道
(10)
京阪電気鉄道
(15)
広島電鉄
(11)
はじめに
(1)
RDF Site Summary
RSS 2.0
鶴見線沿線の専用線は、昭和の中頃まではきっと無数にあって、全貌を把握するのは難しかったのではないかとさえ思います。
現役のものは、安善駅、旧浜安善駅周辺の米軍関係や、新芝浦駅の東芝の工場への分岐の線路を見たことがあるだけですが、あちこちに機関車が行き交っていた様子は、やはり見てみたかったものです。
こちらの記事で専用線の遺構はまだまだ残っていると知ることができましたので、訪ねる機会があれば往時を想像しながら見てみたくなりました。
別の記事にも書いていらっしゃいましたが、浜川崎が拠点として機能していて、もっと賑やかだったのでしょうね。
今は構内に入らずに、直接川崎貨物に抜ける貨物列車が向こうを通過していくのを見るばかりです。
鶴見線から広がる専用線とともに日本鋼管の専用鉄道が一体を網羅していた1960年台が最も活気にあふれていた頃でしょうか。
当時は開発途上の埋立地も多くて今ある貨物線の開通以前、川崎の貨物輸送は浜川崎駅に集中し、それに合わせて工場も造られたので、煙で曇った鉄骨の街が湾岸まで果てしなく広がっていたのかもしれません。
戦後復興を支えた工場施設の老朽化と埋立地の増加が同時だったので工場の移転が進み、段々と沿線の景色が変わって専用線の分岐点もほとんど無くなってしまった鶴見線は、どこか時代の変化に取り残された感じもあります。
それはそれで一つの風情ではありますが、侘しげな線路沿いには「時代の落とし物」が時々残されているので、ときどき埋立地の道を歩いてみたくなります。
勉強になりました。
浜川崎駅を訪ねると目に入ります、鶴見線と川崎貨物駅方面を直結している高架の廃線、鶴見線の貨物輸送を改善しようとしても、むなしく短期間で役割がなくなってしまった痕跡なのだろうと思っていました。
工場の移転など沿線の環境が変わっても、鉄道はなかなか作り変えることができません。
閑散とした浜川崎の光景は、隆盛を誇った時代の残影ゆえの一際の寂しさなのかもしれません。
残念ながら鶴見線の貨物輸送は少なくなってしまいましたが、羽田空港の方から桜木町へ至る新線構想と重なるため、遠い先に浜川崎駅は通勤電車のジャンクションに変わる未来があるのかもしれません。
既に線路が途切れてしまっている高架線は電車が走る日を夢見て眠りについているのかもしれませんね。
侘しい景観の先には、これまでの歩みと同じくらい、この先も大きな変遷があると期待したいところです。