2017年03月20日

のどかな鉄の街

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東京から西へ787km。DE10の奥に並ぶ特徴的な緑のコンテナ、東福山駅です。ここは1966年に開業した貨物駅。1979年に電車も止まる一般駅へ変わりましたが、現在まで工業地帯の玄関口として機能しています。

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ここから南の瀬戸内海に面した製鉄所へ専用線が分かれており、特徴的な鉄橋で道路を渡って、小山をトンネルでくぐっているようです。

広島や九州へ新幹線で行く車窓から見る機会はありましたが、福山では途中下車をした事がありません。さすがに関東地方から訪れるには遠いですが、この辺りの工業地帯、少し興味があります。
タグ:DE10
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2016年07月25日

全方位

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下関駅は周辺を港に囲まれており、西側の漁港、東側の細江町、埠頭、運河と貨物線が各方向へ伸びていました。当然ですが、既に全ての支線は廃止されており、わずかな痕跡が残るだけになっています。駅の東側にあった細江町はかなり再開発が進んでいますが、南側では再開発されないまま、レールが埋没しています。

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駅のすぐ近くですら、使っていない線路が目立ちます。少し閑散としている下関、これから変わっていくのでしょうか。
タグ:線路 廃線
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2016年07月24日

下関運転所は今

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下関駅は高架になっており、駅を出た山陽本線は南向に築堤上を進んで関門トンネルへ向かいます。築堤の東側は貨物設備、西側がEF65とEF66の一大基地だった下関運転所でした。山陽本線の基地として重要な役割を担っていましたが、九州へ向かう貨物列車は手前の幡生操車場で機関車を交替して出入りする事はなく、寝台特急も全て無くなり、機関車の姿はまばら。

今も貨物列車は頻繁に通過しますが、どこか寂しげな印象です。
タグ:DE10 EF65
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2016年07月23日

西の海辺で

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海に近い高架の留置線。「みすゞ潮彩」に改造されたキハ47。7000番台という果てしない番号に改番されています。これは詩人ゆかりの地・仙崎へ向かう列車で、山陰本線の長門市から仙崎へ一駅だけの支線があり、土日には直通する快速が運転されています。

陸路でやってきた本州の西端。ここは下関駅。九州までもうすぐ。
タグ:キハ47
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2016年07月22日

60番以降は改造車

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山口駅前から西へ2km、文化施設に保存されているD60-1。D50-162を戦後に軸重軽減改造したものです。運転台下の遊輪を2軸に増やした他は、D50と大差はありません。D50は1923年から製造された日本初の大型貨物機。日本での輸送規模に丁度よく、改良型のD51でも同じような性能に設計されています。戦後はD51に追われて、北海道や九州で多く利用されていました。一方で、ローカル線向けとなったD60は山口線に集中配置されていた関係で、トップナンバーが山口で保存。

古いタイプは廃車になる時期も早かったので、大正時代特有の曲線構造を持つ大型機の保存車は珍しい存在です。
タグ:D60
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2016年07月21日

静かな都会

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キハ40とキハ47が並ぶ山口駅。非電化ですっきりした視界。かさ上げされていないホームから乗るステップ付きのディーゼルカー。人影も少ない小さな駅ながら、これでも県の中心地です。

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駅前に立った時には、もう日の沈みかけた時間でした。地名のとおりに山林の迫った駅は、近代的ながらどこか風情がありますね。
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2016年07月20日

赤が主役

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新山口駅で編成分割中のキハ47。新車が増えているとはいえ、かなり広範囲で使い続けられており、山口線はほとんどキハ47です。通学利用が結構多く、車内は割と混雑します。他でもそうでしたが、ここのキハ47でも窓の更新と冷房化が行われています。全国各地で地域ごとに色を変えていましたが、西日本ではほとんどが元の赤1色に戻されているようですね。
タグ:キハ47
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2016年07月19日

小郡の片隅で

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新山口駅の北、小郡町役場あらため支所にD51-813が保存されています。1943年製のD51は資材を節約した準戦時型。戦時中から山陽本線で貨物を引き続けてきた813号機は、山陰本線の長門機関区で廃車になるまで本州西部を離れなかったもので、交通の要衝だった小郡で保存されてきました。

しかしまあ、駅名は小郡の方が歴史もあるのでしっくりきます。小郡町には駅名変更を迫る山口市との合併を何十年も拒否していたエピソードがありましたが、近年になってあっさり合併し、駅名も変更されてしまいました。遠くの人間からすると、小郡は山口市街から離れているので、新山口だとあんまりピンときません。新山口というのは分かりやすいようで、どこだか分かりにくくなった気もします。
タグ:D51
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2016年07月18日

小郡機関区にて

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小郡機関区と言っても、前回と同じ新山口駅。由緒ある要衝の駅でしたが、駅名が変化。転車台にはキハ40に混じってスハフ12-36が止まっています。12系も数が減って珍しくなってきましたが、これはさらに珍しい0番台。民営化後に残った多くは発電機関を増強型のDMF15HZ-Gに変更した100番台で、これは1割ほど出力の低いDMF15HS-Gを搭載した0番台で唯一の現存車です。電化前に客車王国だった福知山運転区から流れてきた車両で、「SLやまぐち号」の電源故障時に連結する非常用電源車なのかもしれません。

なお、キハ40で採用された機関もDMF15HSAなので、全然違うようで似たようなメカニズムの車両が並んでいるんですね。

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車庫には「SLやまぐち号」の車両も止まっていました。12系の窓を旧型客車風に大改造し、補強のシルヘッダーまで張り付けてあります。かつての東海道特急をイメージした展望車が特長ですが、本来の1等展望車では走行中に出ない前提なので柵が低かったものの、これは安全のために頭の高さまで柵があります。展望デッキというよりも監獄のような…。
タグ:12
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2016年07月17日

石灰石の道

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新幹線の道すがら、途中下車した新山口駅。宇部線の105系が止まっています。国鉄末期に登場した105系、3ドア新製車と103系改造4ドア車がありますが、これは数少ない新製車。現在は更新改造もされています。

宇部線は小野田線・美祢線とともに日本を代表する石灰石輸送の主要路線でしたが、今はもう貨物列車がなく、1・2両編成の電車が走る静かなローカル線になりました。105系だけは今日も変わらずに海辺のローカル線を走り続けています。
タグ:105
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