2017年05月22日

丹後7

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西舞鶴駅に止まる287系。西日本で見かける特急電車の直流型。

北近畿の特急網は複雑化していました。京都発着山陰本線経由と新大阪発着福知山線経由に分かれ、そのまま山陰本線経由のものに加えて、舞鶴線・宮津線経由と宮福線経由が存在。現在では京都発着「まいづる」「はしだて」「きのさき」と新大阪発着「こうのとり」に集約。国鉄車も姿を消し、時代は転換期を迎えたようです。
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2017年05月21日

丹後6

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舞鶴線の西舞鶴駅。国鉄時代の宮津線には貨物列車が運行されていたため、西舞鶴駅には西舞鶴機関区と西舞鶴客貨車区が存在していました。東側にあった客貨車区は再開発されましたが、西側にあった機関区は京都丹後鉄道の西舞鶴運転区として再利用。ここで眠りについていたワラ2901。線路上に残った珍しい有蓋車ワラ1は救援用で導入されたようですが、老朽化でビニールシートの中。綺麗に変わった舞鶴の街で、ここだけ時間の流れが止まっているようでした。
タグ:ワラ
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2017年05月20日

丹後5

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西舞鶴駅に停車する京都丹後鉄道のKTR8000形。特急「まいづる」として京都駅へ向かうものです。天橋立発着の特急「はしだて」は電車で運転されていますが、豊岡発着では非電化区間を通るのでKTR8000形で運転。特急「まいづる」は綾部駅で特急「はしだて」と連結する関係から、一部の列車がKTR8000形になっており、一度も京都丹後鉄道を通らずに電化区間のみ走るディーゼルカーとなっています。
タグ:特急 私鉄DC
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2017年05月19日

大江山15

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加悦鉄道に古くからある保存車C57-189。1973年に新津機関区から展示用で送られてきたもので、まだ加悦鉄道が健在だった頃。SL広場が加悦駅で開業するのは1977年なので、それ以前から保存していた事になります。

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1975年に北見機関区から送られてきたC58-390。除煙板を切った北海道に多いタイプで。大型機を使った事がない加悦鉄道ですが、どのような搬入だったのか想像するだけで楽しいですね。
タグ:C58 C57
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2017年05月18日

大江山14

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加悦鉄道の代表と言えばキハ08-3。元は木材混じりの戦前車を戦後にスハ43並の車体へ改造した国鉄の鋼体化客車オハ62。不足する新製気動車を補うため、1962年に客車から大改造。キハ20新製より安価だったものの、運転台設置と台車変更は大工事で費用対効果は限定的。しかも貧弱な機関で一般形気動車より2割重い車体を動かす構成で短命でした。キハ08-3は1971年の廃車直後に加悦鉄道へ来たため、生き残った珍車です。
タグ:他DC
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2017年05月17日

大江山13

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キハ51はキハ101と同じ1936年製ガソリンカーですが、加悦鉄道へ来たのは1962年。キハ101と同じ日本車両製で車体は似ていますが、こちらは本格的なボギー車。大型車ながら荷台が付いている珍車。元は郵便荷物合造車だったため、郵便マークを付けてキハユニ51として保存されています。
タグ:私鉄DC
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2017年05月16日

大江山12

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加悦鉄道で最初の気動車キハ101。1936年製ガソリンカーで、両端のデッキは荷台。軽便鉄道では荷台を付けた小型気動車が多かったですが、1067mm軌間では希少。この車両は片ボギー車で2軸台車と1軸車輪を組み合わせた構造。海外メーカーより遅れていた国産技術では可動台車への動力伝達に難があったため、初期の気動車では駆動しない側のみ台車にして大型化する片ボギーという構造が存在していました。
タグ:私鉄DC
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2017年05月15日

大江山11

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大江山を背に止まる国鉄の除雪車キ165。大きい「福」は福知山鉄道管理局。電化された山陰本線と福知山線ですが、国鉄末期まで非電化のまま機関車が幅を利かせていました。中心の福知山客貨車区には多数の旧型客車が配置され、京都・大阪発着の客車列車も存在。

北近畿の鉄道は大きく変貌しました。「福」の字を書いた車両は、もうほとんど残っていません。
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2017年05月14日

大江山10

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戦前製の車掌車ヨ2047。国鉄の貨物列車で最後尾に連結していた車掌車は昭和初期まで古典2軸客車の転用で、木造老朽車に替わる最初の鋼製車掌車がヨ2000。1937年からわずか100両造られただけでしたが、設計思想は戦後の車掌車にも引き継がれた画期的なものでした。少数で保存例もなく、このヨ2047が唯一の存在。

加悦SL広場が単なる地方の保存施設にとどまらないのは、こういった価値ある車両の多さゆえでしょう。
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2017年05月13日

大江山9

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加悦SL広場には他から来た保存車もあります。珍しい加藤製作所の入換機。産業機械メーカーが狭い軌間の工事用を1067mm用に設計拡大した形で、同じシルエットの産業機関車の中では大きい方。とは言え国鉄の規格より圧倒的に小さく、向こうの小型無蓋車と比べても小さく見えます。国鉄車のテールライトくらいしか高さがなく、台枠が低すぎるので、上に伸ばした基礎から自動連結器が生えた状態です。
タグ:他DL
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2017年05月12日

大江山8

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DC351はDB201と同時期の1956年に造られたディーゼル機関車ですが、大手メーカー製で雰囲気も近代的。出力は300PSと控えめですが、DB201の後に見ると大きく見えます。精錬所へ向かう岩滝専用線で貨物列車に使われていました。
タグ:他DL
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2017年05月11日

大江山7

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加悦SL広場ではディーゼル機関車も保存されています。DB201は割と古い1953年製の10t機。蒸気機関車と同時期に利用され、末期には出番がなかったようですが、やはり他の加悦鉄道車と同様に生き残りました。
タグ:他DL
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2017年05月10日

大江山6

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古典客車を車体交換したハ21はラッシュ時の客車列車で使われていました。1971年に国鉄から来た中古気動車と交代で廃車。2軸車ながら大きい客車と同じデッキ構造、模型のようで面白い見た目ですね。

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加悦鉄道は貨物主体でしたが、国鉄からの乗り入れが主体だったため、自前の貨車は少なかったようです。ワブ3は1926年製の貨車を改造した有蓋緩急車。これでも車掌車で、片隅が狭い車掌室。向こうの国鉄車と比べると、車体の小ささがわかります。
タグ:他PC 他FC
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2017年05月09日

大江山5

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加悦SL広場のNo1261。スティーブンソンから50年後に造られた国産機ですが、まだまだ古典的なデザイン。戦時中に加悦・大江山間の貨物線用で使われましたが、戦後の鉱山閉山で失業。今度は海側の岩滝工場で使われましたが、ディーゼル機関車導入で再び失業。No2とともに保存されてきました。

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一緒に保存されているハブ3。実は凄い存在で、マッチ箱のハ4995よりも古い1889年製。ドイツ製の骨董品で、国内の現存客車で最古のグループ。
タグ:他PC 他SL
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2017年05月08日

大江山4

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加悦SL広場のNo2。1873年製のスティーブンソンで国指定重要文化財。加悦鉄道開業時に譲渡された古典機で、1956年に故障して以降も廃車されないまま保存されてきました。廃車の早い他の鉄道と対照的で、廃線前から続く保存姿勢の象徴です。

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マッチ箱と呼ばれる1893年に新橋工場で造られた2軸客車。加悦鉄道では国鉄ハ4999を車体交換してハ20としていましたが、保存にあたって倉庫に転用されていたハ21の旧車体をハ20の足回りと組み合わせて復元。番号は車体の旧番号ハ4995になっています。
タグ:他PC 他SL
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