2024年11月16日

北国の出発点5

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琵琶湖の対岸、長浜駅。創成期の東海道本線では西の大津駅と連絡船で結ばれていた場所。元々は1882年に敦賀の港から南の琵琶湖東岸へ線路が開通し、路線が整理されて今の東海道本線と北陸本線に。保存されているD51-793は中部・北陸方面で使われた蒸気機関車。

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時代は移ろい、路線も車両も変わってきました。隣には交流電化区間がなくなってしまった場所に取り残された初期の交流電気機関車ED70-1。
タグ:D51 ED70
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2024年11月15日

湖畔の道13

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381系が速度記録を出した高規格の路線ですが、特急形・急行形しか交直両用電車が関西地区に導入されなかったため、当初は直流近郊形電車とディーゼルカーの乗り継ぎという状況でした。

今は都市部と同じ電車が走る湖西線。長距離の特急電車がなくなり、役割が変わり始めた古き地方私鉄の廃線跡。
タグ:西日本EC
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2024年11月14日

湖畔の道12

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大津京駅の221系。湖西線には琵琶湖東岸の北陸本線と同様に交直デッドセクションがあったため、普通電車は合流手前の永原駅まで、北陸本線の近江塩津駅より先には近江今津駅で敦賀行に乗り換える不便な状況でした。民営化後に敦賀駅まで直流化されて、新快速が直通する通勤路線に変わっています。

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江若鉄道廃止からわずか5年、1974年に開通した湖西線。都市部のような高規格で造られた湖西線は長距離輸送を目的としていたため、駅は立派でしたが普通列車が極端に少ない歪な状況でした。今は逆に優等列車が激減して、通勤電車がほとんどです。

タグ:西日本EC
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2024年11月13日

湖畔の道11

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一見するとただの街なかにある交差点ですが、ここも江若鉄道の廃線跡。この向こうはトンネルを抜けてきた湖西線の高架橋が廃線跡の上へ。江若鉄道が廃止された当時は周囲に建物が全くない田園地帯でしたが、今では京都・大阪の通勤圏へ変貌しています。
タグ:廃線
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2024年11月12日

湖畔の道10

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左から遊歩道が道路に合流。江若鉄道の廃線跡はここから道路になって北へ。この辺りは車庫があった三井寺下駅跡ですが、半世紀もの時を経て、もう何も残っていません。
タグ:廃線
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2024年11月11日

湖畔の道9

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ゆるやかに市街地を離れて往く遊歩道。

大正時代に建設が始まった江若鉄道は1931年に浜大津・近江今津間が全通し、国鉄の貨物線を利用して東海道本線と接続していました。本来の近江から若狭へ抜ける計画は頓挫し、国鉄予定線に含まれる区間ながら他の地方私鉄のような国有化は実現しないまま。状況が変わったのが1961年に北陸本線の輸送力改善で琵琶湖西岸に新線が計画された事で、新線建設用地として買収されて1969年に江若鉄道の歴史は唐突に終わってしまいました。
タグ:廃線
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2024年11月10日

湖畔の道8

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琵琶湖疎水を渡る斜めの橋。足元には歴史ある石と煉瓦の橋台。江若鉄道の廃線跡には遊歩道が整備されて、ガード橋の代わりに歩道橋が架けられています。
タグ:廃線
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2024年10月28日

逢坂6

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社寺の多い湖畔の街。大津駅を通過するEF65-2090。
タグ:EF65
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2024年10月24日

逢坂2

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内部が実験施設に利用されている逢坂山トンネル。大正時代には早くも新線に切り替わったため、大型蒸気機関車の煤煙を受けずに天井は綺麗な状態。

奈良線に転用された区間以外は大部分が名神高速道路の用地に利用され、トンネルの奥も工事で消失しています。
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2024年10月23日

逢坂1

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国道1号のすぐ脇に残る逢坂山トンネル。

京都市街から東を目指した東海道本線は今の奈良線稲荷駅南から東の峠を越えて旧山科駅へ、そこから再び峠を越えて大津市街へ至る経路で1880年に開通。急勾配の連続する区間を解消するため、1921年に南へ迂回せずに長いトンネルで結ばれた今の経路に変更されて旧線は廃止。100年も前に廃止された明治時代の産業遺産は海外の技師を頼らずに日本人技術者が施工した最初のトンネルとして鉄道記念物になっています。
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2020年02月24日

灘4

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静かな突堤の倉庫街。綺麗に舗装されていますが、かつて線路が敷かれて、有蓋車が出入りしていました。

兵庫駅から和田岬駅へ向かう線路と平行していた貨物線は旋回橋の手前にあった新川駅で北へ分かれて、神戸市場駅と兵庫港駅へ。この他、神戸・尼崎の湾岸まで港の突堤を貨物線が網羅していましたが、民営化前に神戸港駅以外が全廃され、その後の震災で再開発が加速。他の地域よりも廃線跡が圧倒的に少なく、歩いて見ても分からない場所がほとんど。

海運のコンテナ化で静かになった港の倉庫は、何も語らずに佇んでいました。
タグ:廃線
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2020年02月23日

灘3

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山陽本線の支線にある鉄橋。

昇開橋に比べて地味な旋回橋で、転車台と全く同じ原理で回りました。船の大型化で通行量が減少し、いつしか固定されたままに。既に物言わぬ鉄橋ですが、骨董品は100年以上も埋立地を繋いできました。
タグ: 103
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2020年02月22日

灘2

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山陽本線の和田岬駅へやってきた103系。

工場と小さな操車場があった鷹取駅の手前、兵庫駅から2.7km。高架化後も地上にあった貨物施設の端から入換用のDD13が旧型客車を引いて和田岬駅まで往復していました。当時とは大きく変わり、和田岬駅の駅舎は取り壊されて無人になり、中央から右に分かれて造船所へ向かう専用線は消え、他と同じく電車が通るように。

国鉄民営化と震災を経ても残った数少ない港湾線ですが、名残は古びたホームの縁石だけかもしれません。
タグ:103
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2018年02月26日

灘1

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和田岬駅に止まる103系。昼間に走らないので、朝のうちに辿り着かないと見られない光景です。

大阪湾岸には大阪側だけでなく、神戸側にも貨物線がありました。特に東灘駅から分岐した先の神戸港駅は圧巻で、単線の貨物線から湊川駅と灘浜駅、さらに多数の突堤へ櫛形に支線が展開。兵庫駅から分かれた和田岬線も、平行して神戸市場駅と兵庫港駅への貨物線があったほか、和田岬駅でも造船所へ線路が伸びていました。これらの貨物線は廃止後の震災で再開発されており、痕跡がほとんど残っていません。

和田岬駅でも左側に機回し線だった空き地が残るくらいで、街は大きく変わり続けています。
タグ:103
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2018年01月07日

北国の出発点4

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仙山線での試験結果から、電化予定の北陸本線敦賀以南が1957年に交流電化されました。最初の量産機ED70はデッキ・先輪のない箱型車体で後の電気機関車に影響を与えましたが、水冷水銀整流器など課題も多く、他より早い1975年に全廃。敦賀第二機関区で保存されていた1号機のみ、長浜駅隣で保存が続けられています。

ゆかりの地で保存されているものの、北陸本線直流化で赤い国鉄機の名残は周辺から消えてしまいました。
タグ:ED70
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