2020年02月24日

港の風

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静かな突堤の倉庫街。綺麗に舗装されていますが、かつて線路が敷かれて、有蓋車が出入りしていました。

兵庫駅から和田岬駅へ向かう線路と平行していた貨物線は旋回橋の手前にあった新川駅で北へ分かれて、神戸市場駅と兵庫港駅へ。この他、神戸・尼崎の湾岸まで港の突堤を貨物線が網羅していましたが、民営化前に神戸港駅以外が全廃され、その後の震災で再開発が加速。他の地域よりも廃線跡が圧倒的に少なく、歩いて見ても分からない場所がほとんど。

海運のコンテナ化で静かになった港の倉庫は、何も語らずに佇んでいました。
タグ:廃線
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2020年02月23日

鳥の声

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山陽本線の支線にある鉄橋。

昇開橋に比べて地味な旋回橋で、転車台と全く同じ原理で回りました。船の大型化で通行量が減少し、いつしか固定されたままに。既に物言わぬ鉄橋ですが、骨董品は100年以上も埋立地をつないできました。
タグ: 103
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2020年02月22日

石の色

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山陽本線の和田岬駅へやってきた103系。

工場と小さな操車場があった鷹取駅の手前、兵庫駅から2.7km。高架化後も地上にあった貨物施設の端から入換用のDD13が旧型客車を引いて和田岬駅まで往復していました。当時とは大きく変わり、和田岬駅の駅舎は取り壊されて無人になり、中央から右に分かれて造船所へ向かう専用線は消え、他と同じく電車が通るように。

国鉄民営化と震災を経ても残った数少ない港湾線ですが、名残は古びたホームの縁石だけかもしれません。
タグ:103
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2018年02月26日

うららか

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和田岬駅に止まる103系。昼間に走らないので、朝のうちに辿り着かないと見られない光景です。

大阪湾岸には大阪側だけでなく、神戸側にも貨物線がありました。特に東灘駅から分岐した先の神戸港駅は圧巻で、単線の貨物線から湊川駅と灘浜駅、さらに多数の突堤へ櫛形に支線が展開。兵庫駅から分かれた和田岬線も、平行して神戸市場駅と兵庫港駅への貨物線があったほか、和田岬駅でも造船所へ線路が伸びていました。これらの貨物線は廃止後の震災で再開発されており、痕跡がほとんど残っていません。

和田岬駅でも左側に機回し線だった空き地が残るくらいで、街は大きく変わり続けています。
タグ:103
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2018年01月23日

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仲間の多かった西日本のDD51も、客車とともに減少。米子運転所から宮原客車区へ移ったDD51-1109が、向日町運転所に止まっていました。
タグ:DD51
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2018年01月22日

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向日町駅では貨物扱いが存在していましたが、今も残るのはレール輸送のみ。コキ5500を改造したチキ5500は、都の片隅を拠点にしていました。
タグ:チキ
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2018年01月21日

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補強台枠に103系似の車体を載せた配給車クモル145-1015。向日町のヌシとなりつつある事業用車の生き残りで、見られる機会は限られていましたが、博物館の隅で展示もされたようです。

関東では姿を消した事業用車、今のうちにじっくり見ておきたいですね。
タグ:145
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2018年01月20日

こうのとり

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山陰特急へ転用された381系も引退。線路を埋め尽くしていた国鉄型特急電車や客車は向日町運転所から姿を消しました。
タグ:381
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2018年01月19日

新快速

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私鉄に対抗して運転されていた新快速の急行型153系が老朽化し、新たに投入されたのが117系。関西に残ったトップナンバーのクハ117-1ですが、既に新快速では使われなくなり、普通列車で余生を送っていました。
タグ:117
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2018年01月18日

延命工事

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延命工事で窓や雨樋が綺麗になった113系。先頭車は改造続きでクハ111-7702という大台。長距離運転の多くなった東海道本線で使われる機会は減り、湖西線などの区間運転に使われています。
タグ:113
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