2016年06月03日

はじまりの1両

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四国鉄道文化館の南館、DE10の1号機が保存されています。国産技術の液体変速式ディーゼル機関車は、1960年前後に中型機関2基で入換用のDD13、大型機関2基で幹線用のDD51が造られていました。DD13の後継で大型機関1基のDD20が試作されたものの、ローカル線で使うには重かったため、特殊な3軸台車で車輪を増やしたDE10が開発されました。過給機の改良でDD51より出力が増えたDML61ZA(1250PS)を1基搭載で、本線運転とローカル線乗り入れ、貨物入換と客車への蒸気暖房供給を両立した重連仕様。

700両以上も造られて現在も見かけるDE10ですが、1号機は四国に配置されて四国とともに歩み、そして今は四国で眠りについています。
タグ:DE10
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2016年06月02日

古さの割りに強かった

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C57の隣にキハ65-34が保存されています。キハ65は1969年から製造された急行型気動車。国鉄の急行型気動車には標準機関DMH17H(180PS)2基搭載のキハ58と1基搭載のキハ28があり、床下の空いているキハ28に3両分の冷房電源が搭載されました。しかし、中央本線のような勾配線ではキハ58だけでないと登れないため夏に冷房を使えない状況となり、新型標準機関DML30HSD(500PS)1基搭載のキハ65が登場。大出力化と冷房電源搭載を両立し、各地でキハ58と組んで使われました。

車体寸法はキハ58に似ていますが、同時期の12系客車に影響されてユニット窓と折戸を採用しています。急行の縮小で、キハ58と同様に急行以外で使われた機会の方が多かったかもしれません。基本的に暖地仕様で中部から西にしか配置されず、東北地方ではキハ58の冷房化が見送られていました。

元の塗装で最後の活躍をしていた34号車は、ゆかりの地で保存されています。
タグ:キハ65
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2016年06月01日

北の大地から

伊予西条駅に隣接する四国鉄道文化館の南館、C57-44が保存されています。C57は四国に直接関係ありませんが、縁あって近くで保存されていたものが南館建設で移転してきました。C57の保存はあちこちあるものの、44号機はそれなりに由緒ある機関車です。

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44号機は日本最後の定期旅客運用についていた蒸気機関車の1両で、1975年12月にさよなら運転をした135号機とともに岩見沢第一機関区の所属。炭鉱で活況の残っていた室蘭本線を走っていた機関車が、青函連絡船と宇高連絡船で2回も海を渡って四国で保存される事になったのは、なかなか大きなドラマかもしれません。

岩見沢第一機関区のC57は5両あり、38号機は解体されてしまいましたが、57号機は世田谷区、135号機は大宮の博物館、144号機は岩見沢市内で保存されています。44号機はここ、四国で大切にされているんですね。
タグ:C57
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2016年05月31日

早くも博物館入り

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陸橋で伊予西条駅を渡り、北館と反対側にある四国鉄道文化館の南館。以前からある北館に対して、後から増設された南館は出来たばかり。外にはフリーゲージトレインが保存されています。線路幅が複数ある欧州ではかなり昔に実用化されている車両の軌間変更技術ですが、日本では在来線と新幹線を区別して開発していたため未知の領域。0からスタートした日本では道半ばです。

1994年に造られた最初の試験車に続いて、2008年に新幹線区間を270km/h運転出来る実用的な試験車が九州で試験を開始。九州での試験終了後、四国へやってきて試験が行われました。四国では需要が分散しており、一方面へ新幹線を建設しても岡山で乗り換える現状が続くため、フリーゲージトレインは有用ですが、導入には課題も多いようです。

試験終了で、まだ新しさの残る試験車は施設の庭で少し早い眠りにつきました。
タグ:四国EC
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2016年05月30日

今から60年前

瀬戸大橋から50km。やってきました四国鉄道文化館。伊予西条駅に隣接して、北館と南館があります。北館は体育館のような板張りで土足厳禁、スリッパで保存車を眺めるのは初めて(笑

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0系新幹線と並んで保存されているのは、四国での活躍が長かったディーゼル機関車DF50。登場は1956年、戦後に本格的なディーゼル機関車の開発が始まったものの、日本は技術に乏しかったため、海外メーカーのライセンス機関で発電して電動機を動かす電気式が採用されました。

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右の箱型はスイスSulzer社と提携した新三菱製ディーゼル機関8LDA25Aで、これが左の発電機を回す仕組み。回転力を直接車輪に伝えないので重く複雑ですが、一方で電気機関車のように扱いやすく、発電機では安定した電力供給なので電気機関車よりも装置は小型に出来ます。

DF50は各地の非電化幹線へ進出したものの、重量の関係で使える路線が限られたほか、ライセンス品特有の故障と技術的な制約に悩まされ、国産技術の液体変速式DD51量産開始で製造終了となりました。九州などで寝台特急も引いていましたが、幹線電化とDD51量産の板挟みで廃車が進み、1980年頃には最初に導入された四国へ集結。1号機も各地を渡り歩いて四国へ帰ってきたもので、1983年の引退後も多度津工場で保存されていました。

四国の鉄道で一時代を築いた機関車、今は展示施設で大切に保存されています。
タグ:DF50
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2016年05月29日

いしづちの北

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伊予西条駅の7000系電車。手前の片運転台制御車は増結用の7100型、奥は両運転台電動車7000型。四国のローカル輸送に合わせた代表的な電車で、構造は1000型ディーゼルカーと同様に中央のドアのみ両開き。独特なデザインで割と新しく見えますが、実は211系タイプの6000系よりも先に導入されたものです。

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南には特急の名前にもなっている石鎚山がそびえており、水が豊富です。駅のホームにも湧き水!
はるばる四国へ来たのは目的は、もちろん左奥の看板…。
タグ:四国EC
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2016年05月28日

紙と専用線

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ここは伊予三島駅。静岡に三島駅があるから伊予三島駅になったわけでなく、地名がそもそも伊予三島。伊予三島駅の手前には製紙工場の貨物専用線があり、運送会社のモーターカーが入換をしています。各地にあった紙を運ぶ線路も駅も、すっかり減ってしまいました。

貨車は、かつては宇野と高松を結ぶ連絡船で運ばれていました。現在も高松経由ですが、そこから瀬戸大橋を通って関西方面へ直通しています。
タグ:線路 他DL
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2016年05月27日

独特のドア

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多度津駅で待機中の1000型。予讃線の多度津駅には工場があるだけでなく、土讃線の分岐点にもなっているため、色々な車両が止まっています。1000型はディーゼルカーながら、高松方面へ乗り入れた際の通勤輸送にも対応出来る3ドア車。6000系電車もそうでしたが、中央のドアは両開き、運転台後ろはワンマン対応で片開きとなっているのは四国独特の仕様でしょうか。

行先の阿波池田駅は土讃線の琴平駅よりも先にある要衝。電化は琴平駅までなので、多度津駅まで乗り入れているわけですね。スイッチバックの坪尻駅や、景勝地の大歩危・小歩危が有名でしょうか。
タグ:四国DC
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2016年05月26日

最後の置き土産

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多度津駅は車庫代わりに電車も留置されています。121系は1987年3月23日のダイヤ改正で電化された四国向けに製造された電車。わずか9日後に民営化となるため、国鉄最後の電車となりました。技術的に目新しいものはない無難な設計で、丁度良い輸送力の2両編成。飯田線用に造られた119系をステンレス車体に変えたような、いたってシンプルな構成。

実は民営化後に導入された四国の電車は新車・中古車とも数は少なめで、最初に導入された121系19編成が最大勢力となっています。
タグ:121
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2016年05月25日

海を越えて

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多度津駅に止まる113系。元は東海道本線の113系で、大規模な更新改造で外観はかなり綺麗になっています。先頭部も大きく変更されて、雰囲気も変わりました。各車両の番号は1〜3で統一されていますが、これは改造後につけられたもので、113系のトップナンバーとは無関係。4両編成の113系は少し輸送力過剰だったようです。

少しずつ様々な電車が導入されてきたため、四国では電化区間が限られている割りに種類が多い印象ですね。
タグ:113
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