2022年07月27日

追憶の街で17

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錦糸町駅の電留線には東京始発の電車が待機。

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駅横のガード橋に電車が並ぶ錦糸町駅。かつては隣の両国駅は始発駅で貨物扱い、錦糸町駅では車両基地が存在。蒸気機関車と旧型客車が並んでいた錦糸町駅の地上施設は高架化・快速線新設で撤去。運転系統の名残で、6本の電留線が高架上にも造られています。
タグ:東日本EC

2022年07月26日

追憶の街で16

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特急「しおさい」は総武本線の終点まで。急行から始まった電化後の優等列車、格上げで生まれた近距離特急の系譜。

2022年07月25日

追憶の街で15

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埋め立てられずに残された横十間川。

都内の写真が多かったのも、錦糸町へ通っていたためでした。ひとつひとつ写真の日付を見るたびに、その日の事を思い出します。
タグ: 東日本EC

2022年07月24日

追憶の街で14

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子供の頃に通っていた秋葉原〜御茶ノ水界隈とともに、大人になってから長く見てきた錦糸町の街。

御茶ノ水駅の対岸に住んでいた親戚夫妻は叔父様が亡くなられた後にお一人で錦糸町へ。私は子供の代わり、孫の代わりとなって大事にされて幾年月。ご高齢になられた叔母様の生活支援に通い続け、そして昨年に天寿を全うされました。

スカイツリーが見える総武本線の錦糸町駅。全ての整理が終わり、行かなくなってしまった街。この街はあまりにも思い出が多すぎます。
タグ:東日本EC

2022年04月27日

中山道8

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隣接するホッパーから無蓋車に砕石を落とす光景が見られた板橋駅。工場はマンションに変わり、貨物列車が発着していた東側の側線では電車が休憩中。変わらないのは、手前の草に埋もれた西側の側線だけ。
タグ:東日本EC

2022年04月25日

中山道6

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板橋駅では民営化後もしばらく砕石輸送が続いたため、EF65が無蓋車を引いて側線に出入りしていました。数年前まで草に埋もれていた東側の側線は整備されて電留線へと変貌。レールも架線柱も新しくなり、時代から取り残されたような雰囲気はなくなりました。
タグ:東日本EC

2022年04月24日

中山道5

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今も赤羽線と表記されている踏切。止まることなく通過する、相模鉄道から乗り入れてきた試運転の黒い電車。

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貨物の入れ替えをしていた頃の名残なのか、使われないまま残ったロープの巻き上げ機。進み続ける時代、止まったままの時代。
タグ:大手私鉄EC

2022年04月23日

中山道4

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駅中央の半端な位置に設置された車止め。池袋駅が出来る以前、開業当初から拠点として存在していた板橋駅。通勤電車が短距離を往復するだけの路線に変わってからも貨物扱いの残った一般駅。駅西側の側線は早くに切られ、保線用となった短い部分のみ残されています。
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2022年04月22日

中山道3

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古レール組の屋根が残る十条駅。

赤羽線の歴史は都内の鉄道でもかなり古く、元は国有化前の日本鉄道がターミナルの上野駅と別に、市街地を避けて1885年に南の品川駅へ接続させたルート。後に山手線となる田端方面への分岐点・池袋駅は存在せず、後に中央本線となる甲武鉄道が新宿駅から分岐したのは1890年でした。
タグ:古レール

2022年04月21日

中山道2

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1926年の刻印が残る古レールを使った跨線橋。大正から昭和へ変わった日を知っている、物言わぬ鉄骨。
タグ:古レール