2021年05月24日

湾岸の夜風6

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関東大震災で埋立地や多くのレンガ建築は大破。再開発で発掘されたレンガの遺構と、廃線跡の遺構と。
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2021年05月23日

湾岸の夜風5

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コンテナ化で倉庫も艀も利用が低迷し、レンガ倉庫も廃墟となっていました。時代を越えた、地面のレールと倉庫のレンガ。
タグ: 廃線

2021年05月22日

湾岸の夜風4

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貨物線が張り巡らされていた新港地区。国鉄末期に貨物線の廃止が進み、再開発の進展で公園に。放置されていたレールは埋め込まれて歩道に変わり、レンガ倉庫はライトアップ。現役時代よりも煌びやかな後世。
タグ: 廃線

2021年05月21日

湾岸の夜風3

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造船所の跡地に建てられたランドマークタワー。100年前の鉄橋はそのまま、海の景色はビル街へと変わりました。
タグ: 廃線

2021年05月20日

湾岸の夜風2

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造船所の沖合を大きく埋め立てたみなとみらいを背景に、遊歩道となった廃線跡。埋め立てが進んだ新港地区に向けて1920年に開通した貨物線。今でこそ照明が広がる静かな海辺ですが、東横浜駅などが健在だった頃には運河を艀が埋め尽くしていました。

海運のコンテナ化で艀は姿を消し、港町も工業地帯ではなくなりました。
タグ: 廃線

2021年05月19日

湾岸の夜風1

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1872年に横浜駅として開業した桜木町駅。海側には一般向けの道路もなく、貨物駅の東横浜駅と造船所が広がっていました。国鉄の貨物輸送衰退よりも海運のコンテナ化が影響し、貨物線を残したまま、東横浜駅は他よりも早い1979年に廃止。

造船所のドック跡に展示されている日本丸の向こう、海の上には東横浜駅の先へ伸びる廃線跡の灯が。
タグ: 廃線

2021年01月26日

港町の道しるべ20

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横浜で最大の貨物駅だった高島駅は単線になり、東高島駅と繋がる巨大なガード橋も単線。持て余され気味のガード橋を通るのは根岸駅へ往復する貨物列車だけになりました。
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2021年01月25日

港町の道しるべ19

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東高島駅の出口。多数の港湾貨物を扱っていた隣の高島駅と連絡出来るよう、この先にあるガード橋は4線で造られましたが、高島駅もない今は単線化。どこか侘しい雰囲気ですが、彼方に見える高層建築が横浜駅近傍である事を物語っています。
タグ:線路

2021年01月24日

港町の道しるべ18

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東高島駅から分岐する形で途切れた線路。向こうの鮮魚市場へ各地の都市と同様に鮮魚輸送が行われていました。九州の各漁港から東京市場駅へ白い冷蔵車で運行されていた鮮魚特急「とびうお」の増結車が横浜市場駅へ乗り入れていましたが、国鉄末期に衰退して横浜市場駅は1982年に廃止。

曲がってすぐの不自然な車止めが時代の変遷を物語っているようです。
タグ:廃線

2021年01月23日

港町の道しるべ17

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東高島駅の近くの錆びたガード橋。

八王子から港への紡績輸送を目的とした横浜鉄道が国有化された後、新鶴見操車場から湾岸を通る現在の貨物線が開通し、東神奈川駅から港に続いていた貨物線は1930年に廃止。長い歳月で廃線跡は跡形もないですが、当時の名残でガード橋が残されています。
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