2024年02月02日

常陸12

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もう動かない、ゲートの中に残る踏切。工場に張り巡らされていた専用線の記憶。
タグ:廃線

2024年02月01日

常陸11

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途切れ途切れの線路は日立の工場へ。重い機関車が出てきたとは思えないほど、今は劣化してしまった鉄路。
タグ:廃線

2024年01月31日

常陸10

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勝田駅の側線に止まったままだった651系の付属編成。増結用の短い付属編成は転用されず、すぐ北にある勝田電車区を追われて駅に並べられていました。
タグ:651

2024年01月30日

常陸9

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常磐線の脇で眠る線路。専用線の引上線と勝田駅からの線路が合流して日立の工場へ分かれていましたが、今は途切れた状態。新品の機関車が最初に通っていた、旅立ちの駅。
タグ:廃線

2024年01月29日

常陸8

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電化区間の交直切り替えと周囲に非電化が混在する常磐線の地域性から、DE10と交直両用EF81が待機している水戸駅。今はもう貨物用の交流電気機関車ED75が来なくなった交流区間。
タグ:DE10

2024年01月28日

常陸7

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電車の非電化区間乗り入れ用電源車に改造されていた荷物車マニ50-2186。大量の客車と貨車が並んでいた水戸客貨車区は街へと変わり、残ったのは国鉄時代から引き継がれた一両の客車。今は新天地へと移り、鉄道の街から客車が姿を消しました。
タグ:50

2024年01月27日

常陸6

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水戸駅で休むDE10-1603。駅の南に広がっていた巨大な水戸客貨車区と水戸機関区は姿を消し、常磐線と転車台の間にあった線路が機留線として残りました。
タグ:DE10

2016年06月15日

舞丘1

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下館駅のDE10-1535。真岡鉄道ではC12などの蒸気機関車を運行していますが、下館駅では転向できないのでDE10が蒸気機関車を客車ごと引っ張って真岡駅へ回送しています。以前は神奈川臨海鉄道のDD554を使っていましたが、南秋田運転所などに所属していたDE10が後を継ぎました。出番は運行日だけですが、大事な裏方は土日になると下館駅へ姿を見せています。
タグ:DE10

2016年06月12日

常陸5

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日立の工場で敷地の線路上に保存されたED78-1。ED78は1967年に試作されたED94を量産化したもので、より大型化したEF71とともに1968年から製造されました。標準化が徹底された直流機と対照的に、交流機は状況に合わせて1955年から12年間で次々と新形式が開発され、ED78は回生ブレーキ付きサイリスタ制御となった完成形。交流電化は国鉄だけで大きく発展しませんでしたが、開発された技術は後にインバータ制御となり、あらゆる電車に応用されています。

ED78全機が日立製で福島機関区に所属し、奥羽本線福島・米沢間の長い勾配をED78同士かEF71と重連で走っていたほか、仙山線でも使われていました。1号機は利府駅で保管された後で隣接する新幹線運転所の敷地で公開されましたが、深刻な老朽化で日立水戸工場が引き取って保存しています。

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向こうに見える常磐線の勝田駅。水戸工場に引き込まれた線路の撤去が進み、わずかに残った線路は草に埋もれ、交差点と連動する信号機は傾いて止まったまま。この辺りの常磐線各駅には日立の工場があり、それぞれに専用線が分かれていましたが、今は全廃されています。
タグ:廃線 ED78

2016年06月11日

常陸4

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勝田駅の西にある日立の工場で保存されているED15-1。1924年に国内メーカーが初めて国鉄向けで製造した電気機関車。1925年に東海道本線の東京・国府津間、大船・横須賀間が電化され、これに合わせて1922年からアメリカ、イギリス、スイス、ドイツから様々な電気機関車を輸入。ED15はここに割り込んだ唯一の国産機。当時の電気機関車は車体ではなく大きい台車に連結器を付けて重量や牽引力を負担させ、外観もデッキを付けたものが一般的。電車のような箱型車体のED15はかなり前衛的だったかもしれません。

1928年には国鉄が中心となって開発した大型機EF52が登場しますが、京都の博物館で保存されているEF52-1も日立製ですので、比べればわずか4年で大きく設計思想が変わった事がわかります。

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6月最初の土曜日に「さつきまつり」が開催されていますが、工場見学やサービスではなく地域交流を目的に開放しているだけなので、撮影許可が必要で建物内部や催事と関係ない区画へは行けません。
タグ:ED15

2016年06月10日

常陸3

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水戸駅の南西には千波湖が広がっています。湖畔に保存されているのは数字の並びがイイ感じのD51-515。1941年に大宮工場で造られた標準的なD51で、1948年から10年間を水戸機関区で過ごしたものです。1961年の電化で電気機関車EF80がやってくるまで、水戸機関区は蒸気機関車の基地で民営化後も駅に転車台が残っていたようですが、今はEF81とDE10が常駐するだけになりました。

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千波湖は白鳥や鴨が間近で見られる憩いの場所。D51も水戸の一部として、大切にされています。
タグ:D51

2016年06月09日

常陸2

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水戸駅に着いた水戸線。現在の主力は501系。水戸線は小山駅を出て直流から交流に切り替わるため、常磐線と同じ車両が使われています。水戸線は水戸駅より15km以上手前の友部駅までで、ほとんどの電車は友部止まり。それでなぜ水戸線という名称かというと、水戸駅は常磐線以前に水戸線の終点だったからです。

小山・水戸間の開業は1889年1月16日、当初の駅は結城、下館、岩瀬、笠間、宍戸、友部、内原、水戸。江戸時代から要衝だった水戸へ少しでも早く線路を通すため、既に開業していた小山駅を経由したようです。常磐線は1895年に友部駅へ接続した後、1897年に北へと延伸し、友部・水戸間は常磐線へ変更されました。
タグ:東日本EC

2016年06月08日

常陸1

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常磐線の友部・内原間では、上下線がしばらく離れています。内原側には電車を留置する小さな収容施設がありますが、他は畑やソーラーパネルのみ。いかにも何かの跡地のようですね。そう、ここには廃止された水戸操車場がありました…というのは嘘です。ここには最初から何もありませんでした。

貨物輸送の増加した戦時中、常磐線と水戸線の貨物列車を振り分ける操車場建設が始まり、上下線を離して用地を確保したものの、物資不足でレールを調達出来ずに終戦を迎えました。戦後には東北本線の複線電化が進み、常磐線を迂回する長距離列車は減少。頓挫したまま年月が経過し、このような何もない跡地が出来たわけです。

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下り列車から離れた場所に見える上り線の架線柱。平坦な地形にポッカリ空いた妙な空間は、今日も変わらずに残されています。
タグ:廃線 未成線

2016年06月07日

懐古の道1

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小山から水戸線で東へ。笠間駅北西にある市立体育館の横、C58-275が保存されています。1967年の電化まで水戸線ではC58が使われていましたが、保存する事になったのは国鉄から蒸気機関車が消えた翌年1976年。電化から年月を経て水戸線で使われたC58は入手出来なかったため、九州でさよなら運転に使われた275号機が保存されました。偶然の縁で遠い所まで来たんですね。

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笠間は三大稲荷の笠間稲荷と信楽の流れをくむ笠間焼の街。小さな駅舎もどこか風格があります。
タグ: C58