2016年09月20日

国鉄宮島航路の今4

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終点の宮島桟橋まで10分。線路はありませんが、宮島営業所は駅と同格。宮島航路は駅の窓口で乗車券と合算で買う事が出来ます。今も時刻表の鉄道と一緒に載っている唯一の船舶で、れっきとした鉄道連絡船なんですね。

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国鉄民営化から年月が経ちましたが、厳島へ渡る鉄道連絡船の景色は今も変わりません。
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2016年09月19日

国鉄宮島航路の今3

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連絡船で厳島に渡る際には、神社の大鳥居を海上から見る事が出来ます。瀬戸内海にあった国鉄の連絡船は、宇高航路、仁堀航路、宮島航路の3つ。宇高航路は宇野駅から高松駅へ向かうもので、瀬戸大橋開業まで中型船による貨車航送とホバークラフトの高速便がありました。仁堀航路は呉線の仁方駅から予讃本線の堀江駅へ向かっていたもので、小型フェリーで松山方面へ連絡するものでしたが1982年に廃止。

今では宮島航路が最後の鉄道連絡船になりました。

2016年09月18日

国鉄宮島航路の今2

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宮島口桟橋に停泊している「みせん丸」が現在の連絡船。排水量218tの小型フェリー。前後対称でどちらにも前進出来る設計になっており、桟橋に到着後、そのまま反対向きで出航します。なお、「みせん」と言うのは厳島の「弥山」という山の事です。

車両甲板はそれほど混雑せず、宅配のトラックや郵便のバイクがほとんど。逆に上のデッキは混雑し、景色の見える部分に人が集まりやすいので、写真を撮る場合は座らずに待機していた方がよさそうです。

2016年09月17日

国鉄宮島航路の今1

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山陽本線の電車で広島駅から30分、宮島口駅に到着。この駅は現在も続く鉄道連絡船・宮島航路の玄関口です。連絡船と言うと貨車航送のイメージがありますが、実際には鉄道と一体で運行している船全般が連絡船にあたります。明治時代に山陽本線国有化前の山陽鉄道が手掛けていた宮島航路を国鉄が引き継ぎ、民営化後も連絡船として事業は継続しています。

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駅を出て道路を進むと、すぐに宮島口桟橋。右側は連絡船、左側は昔からのライバル松大汽船。ここから小型のフェリーが厳島へ向かっています。
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2016年04月02日

岸壁あれこれ

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青森駅の北にある第三岸壁の横に控車ヒ759と車掌車ヨ14493が保存されています。ヨ14493はヨ3500として製造されたものをヨ5000に改造編入した13500番台。表記はなぜか4493になっていますが、バネの接続部は2段リンクに改造されています。潮風にさらされて、かなり錆びています。

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青森駅には三つの岸壁がありましたが、可動橋が保存されているのは八甲田丸の係留されている第二岸壁です。第一・第二は旅客も乗れる岸壁でしたが、第三は戦時中に増設された貨車専用の航送設備。函館側では、今も貨物駅として使われている有川埠頭に貨車専用の航送設備が造られましたが、青森側では第三岸壁の他、空襲を避けるために少し離れた東北本線の小湊駅近くに航送設備が造られました。小湊駅の航送設備は使われないまま廃墟化。駅の近くにカーブした廃線跡があるだけで痕跡がないので、知っている人は皆無かもしれません。
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2016年04月01日

青函航路と車両2

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青函連絡船八甲田丸には客車のスユニ50-509・スユニ50-510も収容されています。スユニ50は旧型客車の置換用に1977年から造られた郵便・荷物合造車で、車体は同時期の50系客車で新製されたものの、台車と部品は旧型客車から転用。500番台は蒸気暖房にしか対応しない北海道専用。本州直通に使われたのは電気暖房を併設した2000番台でした。

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客車だけでなく、貨車も保存されています。ヒ600は控車。貨車と言っても貨物を積むものではなく、作業員が乗るデッキがあるだけ。連絡船や地面と繋がる可動橋に重い機関車が乗ると、急に沈んで脱線する恐れがあり、地面と違って動輪の駆動力で船自体を動かしてしまう危険があったため、必ず控車を複数連結して距離を稼いだ機関車で連絡船内に貨車を押し込む方法がとられていました。それでも脱線事故や衝突事故は多数発生しており、天候の影響で積み出し作業は難しかったようです。

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小型の車掌車ヨ6798も保存されています。船の側面にも描かれているイルカのマークですが、これは保存時にシンボルとして造られたものではありません。現役時代から連絡船に描かれていたイメージキャラクターが、今も使われているんです。
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2016年03月31日

青函航路と車両1

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青森駅横の青函連絡船八甲田丸、やはり公開されている内部では車両甲板が気になります。車両甲板に線路が4本ありますが、内側2本に車両が展示されています。正面の機関車はDD16-31。実際に入換で使われていたのはパワーのあるDE10でしたが、軽いDD16も何か使い道があったのかもしれません。

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特急型気動車のキハ82-101も保存されています。国鉄民営化の前後まで、連絡船と接続する特急「北斗」「北海」などで使われていました。標準機関DMH17Hを搭載する最初の特急型気動車でしたが、重装備の割りに機関出力が小さく、速度と登坂力に問題があったので、本州ではキハ181への置換が早かったようです。北海道ではキハ82の保存が多いですが、本州では名古屋の博物館にしか保存されていません。
タグ:キハ80 DD16

2016年03月30日

海峡とともに

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青函連絡船八甲田丸が係留されている場所は青森駅の構内にあった第二岸壁です。かつては駅の北にある跨線橋から船に直結していました。道路や広場になっている部分も、貨車の待機する線路だった所。

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船の煙突が展望台となっており、遠く津軽海峡が望めます。左に見える陸地は蟹田の向こうにある平舘、右の陸地は下北半島の北海岬で、もっと晴れていれば正面に函館山が見えたかもしれません。

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船の内部は上から下まで公開されており、機関室も見る事が出来ます。ディーゼル機関8基で総出力12475PS・最高速度21ノットで、青森駅から函館駅まで約4時間で航行していました。

2016年03月29日

青函航路を振り返る

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青森駅を出てすぐ北に青函連絡船八甲田丸が係留されています。八甲田丸は略号JRRX、東海道新幹線の開業と同じ1964年に兵庫県・和田岬駅の向かいにある三菱神戸造船所で竣工しました。全長132m・定員1200人・2軸車換算48両搭載の客載車両渡船で、1964年から1966年までの間に津軽丸・松前丸・大雪丸・摩周丸・羊蹄丸・十和田丸とともに建造されました。1969年から1977年には全長144.6m・2軸車換算55両搭載の貨物専用車両渡船渡島丸・日高丸・十勝丸・空知丸・檜山丸・石狩丸が建造されました。どちらも1954年に発生した台風により5隻の連絡船が沈没した洞爺丸事件を教訓に設計を見直した船でしたが、実際には輸送力が過剰気味だったため、集結輸送が廃止されて貨物が激減した1984年前後に津軽丸・松前丸・渡島丸・日高丸・十勝丸が退役しています。

最後まで使われていたのは、津軽丸型客載車両渡船5隻と、渡島丸型車両渡船1隻、檜山丸・石狩丸に客室を追加した改造客載車両渡船2隻でした。これらは国鉄民営化直後の青函トンネル開通まで使われました。煙突のマークは1年だけJRでしたが、保存時にJNRへ復元されています。