2020年01月26日

港の入口で7

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止まる事なく通過するEH500-61。様々な貨車が塩釜線と臨海鉄道へ出入りしていた時代は遠く、ホームの下に埋もれた石垣と無人となった駅舎だけは今も変わらずに。
タグ:EH500

2020年01月25日

港の入口で6

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雄大な蔵王も見える陸前山王駅。塩釜線は廃止され、仙台臨海鉄道の本数も少なく、側線は閑散としています。
タグ:線路

2020年01月24日

港の入口で5

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ホームの下には創成期の石垣と延長したブロック、嵩上げしたコンクリート板。数多くの特急列車や貨物列車が行き交っていた時代の証。
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2020年01月23日

港の入口で4

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どちらかと言えば貨物列車が主役だった陸前山王駅。民営化後に業務委託されていた窓口は閉鎖され、無人になってしまいました。人の姿もまばらな木造駅舎だけは、そのまま。
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2020年01月22日

港の入口で3

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長距離の普通列車があった頃、長編成の客車用に長いホームが地方でも使われていました。線路が近くに見える、未舗装のまま放置された低いホーム。
タグ:線路

2020年01月21日

港の入口で2

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戦前に東北本線の支線だった塩釜線。ありふれた中間駅として開業した多賀城前駅は戦時中に陸前山王駅と名を変え、ここから分岐して海岸経由の新線が開通。後から仙台臨海鉄道も開通し、東と南の港へ向かう貨物列車のために駅が拡張されてきました。

踏板の向こうには11本もの側線。貨物列車が減ってしまった田園の駅。
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2018年09月08日

港の入口で1

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仙台駅からしばらく北の先にある陸前山王駅。貨物列車の減少で静かになった駅には、空のコンテナ車と廃車予定の719系。

開業時は塩釜線の多賀城前という名称で、戦時中に勾配を避けて海側を通る東北本線の新線がこの駅で分岐し、塩釜線は陸前山王駅までが東北本線、先の塩釜線は貨物線となりました。国鉄末期に廃止された塩釜線の分岐点は少し先にあり、跡地に新駅の国府多賀城駅が開業。他にも陸前山王駅は仙台臨海鉄道の分岐点となっていますが、本数は少なめで静かな田園地帯に溶け込んでいます。
タグ:コキ 719

2018年09月07日

新しい機関区5

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機関区で休んでいたDE10-1643。後に別の場所で見つけるのですが、この時はまだ廃車になっていませんでした。
タグ:DE10

2018年09月06日

新しい機関区4

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東仙台駅の先に造られた新しい機関区。電気機関車は既にEH500しか存在しませんが、ディーゼル機関車はDE10。世代交代にはもう少し時間がかかりそうですね。
タグ:EH500 DE10

2018年09月05日

宮城野5

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仙台駅を通る東北本線の方が西へ回り込んでいるので、長町駅で分かれた宮城野駅を通る貨物線の方が宮城野原を直進。1960年頃の新線で、築堤で道路や仙石線を乗り越しています。無骨な高架橋と違い、草の茂った法面が住宅地に丁度良いバランスかもしれません。
タグ:EH500

2018年09月04日

宮城野4

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コンテナに囲まれながら徐行するDE10-3510。踏切なのか併用軌道なのか、広々とした路面がコンテナ中心となった貨物駅の特徴となりました。
タグ:DE10

2018年09月03日

宮城野3

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入換中のDE10-3510。宮城野駅は廃止されずに生き残った貨物駅ですが、右の信号機にはX字。コンテナ用の仙台貨物ターミナル駅として再整備され、各種貨物に対応していた当時とは様相がかなり変わったかもしれません。
タグ:DE10

2018年09月02日

宮城野2

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姿を消したコキ50000。使われなくなった貨車ですが、宮城野駅には残っていました。最後の旅立ちはいつになるかわかりませんが、もうコンテナを載せる事はないのでしょう。
タグ:コキ

2018年09月01日

宮城野1

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マンションに囲まれた仙台の街。そんな中で少し古ぼけた詰所の並ぶ貨物専用の宮城野駅。

仙台駅の貨物扱いを南の長町駅へ分散し、さらに貨物列車の迂回路として1961年に宮城野駅が開業。長町駅は操車場となり、仙台駅の小規模な貨物扱いと仙山線経由を除き、多くの貨物列車が宮城野経由となっていました。現在は完全に客貨分離となり、基本的に貨物列車は仙台駅を通らなくなっています。
タグ:DE10

2017年01月21日

田園の中で12

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ED77に続いて1967年に試作された回生ブレーキを付加したED94、そして量産車ED78が登場。ED78は軸重可変の中間台車を持つD級大型機で、奥羽本線福島・米沢間と仙山線で利用されました。急勾配の奥羽本線ではED78重連でも出力不足になるため、追加で製造されたのが補機EF71。

それまでのD級交流機では電動機が全並列接続でしたが、EF71では直流機のような2個直列3並列。出力はD級交流機1900kWを拡大した2700kW、粘着力を換算すると直流機EF66並。EF71+ED78の混結重連も可能で、寝台特急「あけぼの」や貨物列車を引いていました。補機専用というわけでなく、単独で客車を引いてスイッチバックの駅に止まった姿の方が有名かもしれません。

新幹線乗り入れで行き場を失ってから20年以上。頂点に君臨した赤い機関車は、もう走る事はありません。
タグ:EF71