2017年01月20日

田園の中で11

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ED77はサイリスタ制御を採用した交流機で、支線用に軸重可変の中間台車を持っています。当初の交流機で使われていた水銀整流器は安全面で使えなくなり、ED75ではシリコン整流器に磁気増幅器を組み合わせて対応。1965年に試作されたED93ではサイリスタ制御の試験が行われ、北海道用に試作されたED75-500番台、続いてED93の量産車ED77で実用化。交流機は進歩したものの、主力となる幹線のED75などは従来のままで量産が続き、さらに発展したED78の登場でED77は磐越西線用の少数派になりました。

後ろに見える初期の試作車ED91-21から10年で凄まじい進化を遂げた交流機、今はもう何も語る事無く佇んでいます。
タグ:ED77

2017年01月19日

田園の中で10

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仙台の車両基地では、新幹線だけでなく機関車も保存されています。仙台市内の蒸気機関車D51-1108・C58-365・C11-351、利府駅で保管されていた交流電気機関車ED91-21・ED71-1・ED75-1・ED77-1・ED78-1・EF71-1が集められましたが、現在ではED78-1が勝田の日立製作所へ移転しています。
タグ:D51

2017年01月18日

田園の中で9

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今は車両基地の片隅で静かな時を送る953形。民営化後の開発競争で造られた試験車で、通常車体の952形4両と5車体連接構造の953形。2グループに分かれているだけでなく、車両ごとに車体構造なども様々。先頭形状は騒音対策を考慮したもので、こう見えて今の新幹線はこれが元になっています。953形は唯一の連接新幹線で、性能的には十分でしたが連接構造は不採用。953形は仙台で、反対の952形は米原で保存されています。
タグ:新幹線

2017年01月17日

田園の中で8

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961形など試験車の結果を元に造られた量産車200系。速達「やまびこ」「あさひ」では12両、各駅停車「あおば」「とき」では8両。途中から100系のように鋭利な先頭車が登場し、2階建て1両を加えた13両、さらには2階建て2両の16両へ変わっていきました。

12両編成では9号車が半室ビュッフェで、東海道新幹線のような食堂車はないものの、立ったまま軽食が出来ました。簡易調理のカレーとタコヤキ、あと新幹線でしか見た事がないブドウつぶジュース。国鉄民営化後に登場した2階建て車は1階がカフェテリアで、コンビニに影響された弁当や総菜販売など。カフェテリアが出来た頃は供食設備の衰退期で、営業中止も増えつつありました。
タグ:新幹線

2017年01月16日

田園の中で7

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仙台総合車両所の目玉は961形。200系に似ていますが全く違います。東海道新幹線開業の5年後1969年にアルミ車体で2両編成の試験車951形が試験開始、続いて新幹線網の全国拡大に対応する試験車961形が1973年に造られました。961形は山陽新幹線の九州開業に向けて食堂の他、寝台個室やB寝台などを持ち、夜行新幹線の試験に対応。新幹線の規格が大きいので、通路を挟んで縦にも配置した「に」型B寝台が特徴。新幹線の北進が計画されていたため、台車もカバーで覆われた耐寒構造に50/60Hz両用のサイリスタ制御。1978年に東北新幹線試験線へ移り、日本で初めて300km/hを越えた車両です。開発はこの後に200系の元になる電気試験車962形、925形へ進みました。

961形は東海道新幹線と同じ青帯でしたが、今は緑帯。見た目は少し変わってしまいましたが、時代の1ページが残っているのは嬉しい事ですね。
タグ:新幹線

2017年01月15日

田園の中で6

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利府駅の北側にある公園で、試作交流機ED45-11を改番したED91-11が保存されています。戦後に地上設備の簡単な交流電化を進めるために開発された1両。最初に試作されたのは交流電動機を直接駆動するED44-1、水冷水銀整流器で直流化するED45-1。技術的な難しさから整流方式が採用され、続けて空冷水銀整流器を積んだED45-11・ED45-21が造られました。

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一緒に保存されているC58-354。ここは元の東北本線で、1962年に廃止された利府駅から先の区間。廃線跡を利用した車両保存では先駆けではないでしょうか。
タグ:C58 ED91

2017年01月14日

田園の中で5

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東北本線の支線、終点の利府駅。支線ではワンマン運転が行われています。岩切・利府間の新利府駅のみ無人駅。4両編成の先頭しかドアが開かない事を知らず、新利府駅で降りられなかった人をたまに見かけます。市街地の仙台近郊では珍しい仕組みなので、なかなか浸透しないようですね。
タグ:719

2017年01月13日

田園の中で4

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田園地帯の片隅。東北本線の支線沿いに造られた総合車両基地では、ずらりと並ぶ新幹線を見る事が出来ます。慣れ親しんだ200系は既に存在しませんが、壮観な眺めですね。
タグ:新幹線

2017年01月12日

田園の中で3

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岩切駅の北側に訓練用なのか417系が止まっています。白地に緑帯の電車が仙台近郊では長らく活躍していましたが、これはそのまま残った最後の車両。様々なタイプが入り混じっていましたが、今も緑帯で残るのは、この他には大宮の博物館にある急行形455系くらい。塗装がはがれ始めた417系ですが、この後にどうなるのか気になりますね。
タグ:417

2017年01月11日

田園の中で2

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ED75-758が岩切駅に停車中。既に0・300・500・1000番台は全滅しており、奥羽本線から移転してきた700番台が最後の存在。昔は1000番台重連の貨物列車だけでなく、盛岡近郊で0番台が12系客車の普通列車を引いていました。700番台も秋田近郊で50系客車の普通列車を引いていましたが、今はレール輸送など不定期のみ。

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引いているのはロングレール用の長物車チキ5500。元は初期のコンテナ車コキ5500で、レール輸送に特化したため改造箇所が少なく、ほぼそのまま。チキ6000も元はコキ5500ですが、標準的な長物車チキ7000と同仕様に大改造されており、見た目は全く違います。
タグ:チキ ED75

2017年01月10日

田園の中で1

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仙台市街の北にある岩切駅。この駅では東北本線から山側を通る支線が分かれています。EH500の進路が本線で、分かれた右側が支線。この支線が元の東北本線で、逆に現在の本線は港へ向かう塩釜線という支線でした。

岩切・品井沼間で海側を通る現在の東北本線は1944年に開通した迂回線で、戦後の電化・複線化では海側が整備され、山越えをする旧線は廃止されました。その際に平野部を通る岩切・利府間が支線として残り、現在も仙台市街へ向かう交通機関として利用されています。
タグ:EH500

2016年12月17日

新しい機関区7

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仙台総合鉄道部のDE10-3508。DE15を編入したグループ。元のDE15は冬季以外にDE10と同じ用途で使う計画で製造されましたが、蒸気機関車を置き換える頃には普通列車が客車から気動車へ変わり、地方の貨物列車も減少していたため、休眠状態の除雪用ディーゼル機関車が多かったようです。
タグ:DE10

2016年12月16日

新しい機関区6

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DE10-3001。3000番台という大きな単位になっていますが、元は除雪用のDE15。3000番台は1両で、残りは3500番台になっており、蒸気発生装置を持つDE15-1000番台か持たない1500番台で区別したのでしょうか。外観はDE10とほとんど同じですが、除雪ヘッドとの接続部があったため、テールライトが外側にずれています。
タグ:DE10

2016年12月15日

新しい機関区5

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ハイブリッド機HD300-6。所属する新鶴見機関区から北国へ。小さい駅では電気機関車、大きい駅ではHD300で入換する流れが定着しつつあります。仙台地区では非電化区間の貨物列車があるため、今のところDE10の出番がありますが、入換以外でも将来的には変わっていくのかもしれません。
タグ:HD300

2016年12月14日

新しい機関区4

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「特休車」札が付けられたDE10-1128。電気機関車による入換が増えており、入換機の常駐は減少。老朽化と部品確保の難しさから、DE10の廃車が進んでいます。

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「特休車」札が付けられたDE10-1730。こちらは東新潟機関区へ移転。ディーゼル機関車は部品交換や転用で必ずしも車齢と状態が一致しませんが、それでも外観まで更新されているグループは生き残りやすいようです。
タグ:DE10