2024年01月26日

湾岸経路21

a26aa.jpg

団地が並び始めた1970年代にはほとんど荒野だった京葉線沿線。遠く地平線を望みながら。
タグ:

2024年01月25日

湾岸経路20

a25.jpg

貨物列車は都市へと変わった千葉みなと駅へ。千葉貨物ターミナル駅の入口だったのは昔の話。
タグ: EF210

2024年01月24日

湾岸経路19

a24.jpg

港と団地に挟まれた高架橋の貨物列車。最も京葉線らしい一コマ。
タグ: EF210 タキ

2024年01月23日

湾岸経路18

a23.jpg

京葉線を走る貨物列車。湾岸経路での東京貨物ターミナル駅連絡は果たせず、武蔵野線と繋がって以降も貨物列車の運行開始に時間を要しました。
タグ:

2024年01月22日

湾岸経路17

a22.jpg

千葉貨物ターミナル駅の南側に広がる工業地帯。食品関係が多いのが特徴で、中央の白い共同サイロやその向こうにある千葉製粉へ線路が繋がっていましたが、京葉線開業が遅かったため、利用期間は短かったようです。
タグ:

2024年01月21日

湾岸経路16

a21.jpg

武蔵野線経由でやってきた貨物列車。水色の建屋から手前が千葉貨物ターミナル駅のコンテナホームだった場所ですが、貨物駅の跡はほとんど残っていません。
タグ:

2024年01月20日

湾岸経路15

a20.jpg

港の雰囲気は変わったものの、街並みは意外と変わっていない蘇我駅周辺。湾岸を工業地帯で塞がれていたため、住宅地が古くから内陸側を埋め尽くしていました。

2024年01月19日

湾岸経路14

a19.jpg

千葉みなと駅の北に残る高架橋。本来は左に広がっていた千葉貨物ターミナル駅へ向こうの東京側から入る下り貨物列車を跨ぐ上り線として造られましたが、京葉線建設の遅れで貨物列車は蘇我駅経由のみ。そのまま千葉貨物ターミナル駅は廃止されてしまいました。今は地上に上り線が新設され、何も跨がない高架橋は下り用になっているようです。
タグ:線路

2024年01月18日

湾岸経路13

a18a.jpg

京葉線の高架橋に残る分岐点。京葉線は最初に蘇我駅から6km北西の千葉貨物ターミナル駅のみ1975年に開業し、蘇我駅への高架橋が未着工だったので川崎製鉄の専用線を経由していました。川崎製鉄の再開発で連絡線は撤去されて、分岐点のみが残されています。

a18b.jpg

連絡線が先行開業区間に左から合流していた場所。この先で連絡線は複線高架橋の片側を使っていましたが、京葉線開通時に本線の高架橋を外側に追加したため、結果的に間の連絡線部分が高架上の廃線跡で残ってしまいました。
タグ:廃線

2024年01月17日

湾岸経路12

a17.jpg

彼方の煙突に向かって住宅地の中を抜ける廃線跡。蘇我駅の西300mにある国道から海側に広がっていた川崎製鉄は縮小されて再開発が進み、廃線跡は蘇我駅付近にしか見られなくなりました。
タグ:廃線

2024年01月16日

湾岸経路11

a16.jpg

蘇我駅から分かれていく廃線跡。川崎製鉄の専用線は工場や製鉄所に張り巡らされていた他、市街地で未建設だった京葉線の高架橋とも接続していました。
タグ:廃線

2024年01月15日

湾岸経路10

a15.jpg

蘇我駅の南、内房線沿いにある小さな機関区。非電化時代の名残だった転車台は国鉄末期に撤去され、今は武蔵野線を大回りしてきた電気機関車のねぐらに。
タグ:EF210 EF65

2024年01月14日

湾岸経路9

a14.jpg

外房線と内房線の分岐点に京葉線が合流する蘇我駅。側線から川崎製鉄と京葉臨海鉄道の貨物列車が発着していましたが、もう雑多な貨車が並んでいた最盛期の雰囲気は見られなくなりました。
タグ:東日本EC

2023年01月28日

連絡鉄道50

a28.jpg

横須賀線から東京駅を経由してやって来た快速。新幹線の代わりにトンネルを抜ける通勤電車。
タグ:東日本EC

2023年01月25日

連絡鉄道47

a25.jpg

用地買収すらされなかった他の区間と対照的に、空港近郊では建設が進んだ成田新幹線。成田線近くで高架橋が切り替わり、高架駅のような二段構造に。成田新幹線の計画にはなかったものの、地元への配慮を予定していたのか、成田線との交差部分に駅を設置可能な構造になっていました。

成田新幹線建設以前、近くには空港建設用の公団専用線が存在し、関東各地からセメント・砕石の貨物列車が到着。ホッパ車から砕石を一斉に落下させていた高架線などは既になく、専用線の跡は何も残っていません。