2022年03月14日

常闇の鉄条11

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古き地下鉄道の雰囲気を残していた南砂町駅。かつては川の下でしたが埋め立てが進み、近くに残っていた最後の部分も埋め立てられて、地上の道路橋や防潮堤は姿を消しました。
タグ:地下

2022年03月13日

常闇の鉄条10

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平面的な灰色の空間。半世紀も前に造られた東西線。
タグ:地下

2021年08月16日

隅田に沿って31

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地下鉄半蔵門線の押上駅ではホーム外側2本が東武伊勢崎線直通用で、内側2本は折り返し用。住吉駅に有楽町線への延伸計画があったように、押上駅も千葉県北部への延伸計画が存在。外側線を東武線直通急行が行き交う中、静かに閉ざされた内側線の果て。
タグ:線路 地下

2021年08月15日

隅田に沿って30

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6+4両となっている伊勢崎線用30000系。東上線用は10両固定なので、運転台が向き合うのは少数派の伊勢崎線用のみ。固定編成ばかりとなった地下鉄では珍しくなった、貫通路で繋がった運転台。

2021年08月14日

隅田に沿って29

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新しいホームドア、両側には一時代前のステンレス車体。

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シンプルな化粧板と扇風機。ユニットとパネルで組みあがっている現行車とは違う、懐かしい風合い。

2021年08月13日

隅田に沿って28

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割と新しい押上駅。止まっているのは半蔵門線とともに生まれた東急8500系。

2021年08月12日

隅田に沿って27

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彼方から轟音が響く単線シールド。東武伊勢崎線への直通用に延伸された半蔵門線。
タグ:線路 地下

2019年07月23日

復興のシンボル7

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丸ノ内線開通時の拠点だった小石川検車区。1954年に池袋・御茶ノ水間で開通した丸ノ内線は東京・新宿方面へと延伸。銀座線では道路に合わせた狭小な16m車でしたが、丸ノ内線では18mの新規格へ拡大。従来にとらわれないコンセプトは後の地下鉄へと引き継がれていきました。


戦後復興のシンボルだった戦後最初の地下鉄車両基地が閑静な茗荷谷に息づいています。
タグ:大手私鉄EC

2019年07月22日

復興のシンボル6

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右下にポツンと顔をのぞかせた丸ノ内線。東京らしい雑然としたビル街の向こうに、スカイツリー。
タグ:大手私鉄EC

2019年07月21日

復興のシンボル5

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電留線が併設された地上区間。後楽園駅の彼方には新宿のビル街。
タグ:大手私鉄EC

2019年07月20日

復興のシンボル4

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保守用に造られた地下空間。地下鉄が通るたび、乗換通路に独特の風が吹き抜けます。

2019年07月19日

復興のシンボル3

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地下への出入口。向こうには迎賓館が広がり、緑に彩られています。

2019年07月18日

復興のシンボル2

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堀に蓋をするように、中央本線の上に駅が造られた丸ノ内線の四ツ谷駅。地下の浅い所を通る初期の地下鉄では頻繁に地上へ顔を出します。
タグ:大手私鉄EC

2019年07月17日

復興のシンボル1

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丸ノ内線の基地・中野検車区。銀座線の車両も扱う中野工場を併設しており、かつては戦前の両運転台車が入換用で使われていました。同じ先頭形状でも両運転台・片運転台があったり、片開き扉の銀座線車両が残っていたり、運転台の内装だけ撤去した簡易改造車が混じっていたり。

車両の進歩と時代の変遷を見られる場所でしたが、今では車両統一で静かな車両基地になりました。
タグ:大手私鉄EC

2019年04月13日

追憶の街で3

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変わりゆく湯島の坂で、変わらずに咲き続ける桜。