快晴の荒川。トラス橋を渡る営団6000系。廃車が進行し、残存車は千代田線内のみの運行で余生を送っていました。
2018年03月20日
2016年04月03日
追憶の街で1
子供の頃、神田川沿いのお店に親戚が住んでいた頃。交通博物館へ行った帰りにお店へ寄って、窓からずーっと対岸の御茶ノ水駅を眺めていた気がします。
中央線は201系だけでしたが特急「あずさ」が通過したり、総武線は運転台の低い103系や高い103系に混じって201系が走り、稀に青い事業用車が止まったり、転属中で黄色以外が混じったままの103系が使われていたり。丸ノ内線は赤い電車で統一されているようでいて、両運転台車や運転台を撤去した中間改造車が間に入ったり、ライトや窓がそのままの手抜き(?)改造車が混じっていたり。

あれから幾年月、写真の中にお店はまだありますが親戚は住んでいません。御茶ノ水駅を通る車両は新しい世代で統一され、草に覆われていた護岸も度重なる補強工事で強固になり、都心では珍しい木造の駅も改良工事で変わりつつあります。
聖橋から眺めた春の景色、来年には違っているかもしれません。
中央線は201系だけでしたが特急「あずさ」が通過したり、総武線は運転台の低い103系や高い103系に混じって201系が走り、稀に青い事業用車が止まったり、転属中で黄色以外が混じったままの103系が使われていたり。丸ノ内線は赤い電車で統一されているようでいて、両運転台車や運転台を撤去した中間改造車が間に入ったり、ライトや窓がそのままの手抜き(?)改造車が混じっていたり。
あれから幾年月、写真の中にお店はまだありますが親戚は住んでいません。御茶ノ水駅を通る車両は新しい世代で統一され、草に覆われていた護岸も度重なる補強工事で強固になり、都心では珍しい木造の駅も改良工事で変わりつつあります。
聖橋から眺めた春の景色、来年には違っているかもしれません。