2025年02月10日

相模野10

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相模線の厚木駅。1926年に南から延伸されてきた相模鉄道と横浜から西へ建設された神中鉄道が接続した場所で、小田原急行鉄道も1年遅れて上を乗り越す形で開通。相模鉄道と神中鉄道は合併したものの、相模鉄道部分のみ戦時買収で国有化され、神中鉄道部分は戦時統合で東急になった後で戦後に現在の相模鉄道として独立。相模鉄道は厚木駅の手前で分かれて小田急電鉄と並ぶ線路を本線に変更し、以降は国鉄の相模線と相模鉄道の貨物線が接続する駅になりました。
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2025年02月09日

相模野9

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西寒川駅の線路は途切れて、その先は道路。

元々、西寒川駅は末端の小さな駅だったわけでなく、古くは貨物線の途中に位置。国鉄買収以前の1921年、相模鉄道が茅ヶ崎駅から川寒川駅まで開通し、その途中に設置された四ノ宮駅が西寒川駅の前身。すぐに寒川駅から北へ向かう線路が開通して支線に変わった後、川寒川駅が廃止されて短縮。この先の線路は早くに廃止されたので道路に変わり、戦後も残っていた左の工場に入る線路は1970年代には撤去され、以降は1984年の廃止まで1日数本のディーゼルカーが来るだけの末端になっていました。

相模線で最も古く、当時の面影を残す線路。今は道に挟まれた小さな公園。
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2025年02月08日

相模野8

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廃線跡の遊歩道は八角公園まで。ここは支線の終点・西寒川駅があった場所。短いホームも整地されて残されていません。

2025年02月07日

相模野7

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花咲く公園の一角。もう何も通らない線路の姿。

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廃止当時は周辺に畑と空き地が広がっていましたが、今はほとんどが住宅に。国鉄末期の整理で皮肉な結末を迎えてしまった廃線跡。
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2025年02月06日

相模野6

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住宅地に囲まれて、憩いの場所となっている一之宮公園。木の枕木に釘止めしただけの簡素な線路がそのまま残る廃線跡。
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2025年02月05日

相模野5

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支線の中間が公園として整備された廃線跡。車輪がオブジェとして置かれている踏切跡。
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2025年02月04日

相模野4

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寒川駅北側、寒川神社鳥居のすぐ近くで広がっている敷地。本線上から分かれていた支線の跡で、1984年まで支線が南西の相模川河川敷脇にあった西寒川駅へと続いていました。
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2025年02月03日

相模野3

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相模線の寒川駅。電化されて木造駅舎もなくなりましたが、どこか落ち着いた雰囲気があります。

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側線は1本に減って保線用に。高座郡が寒川町だけになって久しい、静かな町の駅。
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2025年02月02日

相模野2

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専用線はここからすぐ右へ、他にも本線に沿って南北にも専用線がありました。工場跡などは商業施設と住宅地に変わっています。

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相模線は明治時代に開通しましたが、北茅ヶ崎駅は昭和になってから開業。小さな木造駅舎は戦前から高度成長期への移り変わりを見つめてきました。
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2025年02月01日

相模野1

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相模線が茅ヶ崎駅を出て、急カーブを曲がってすぐの場所にある北茅ヶ崎駅。駅そのものは側線2本の小さな駅でしたが、工業団地に複数の専用線が分岐する貨物列車の中継地点でした。既に貨物扱いはありませんが、専用線の分岐点には踏切用のロープが残されたまま。
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2023年06月02日

東海道中34

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海風を感じながら。EF210-104は遠く、1000km先の幡生操車場を目指して。
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2023年06月01日

東海道中33

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参道を横切るEF66。東海道の旅路はまだまだこれから。
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2023年05月31日

東海道中32

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世代交代が進んだ特急。国鉄の電車はもう来ない海辺の道。
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2023年05月30日

東海道中31

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海が迫った斜面。トンネルを出て、次のトンネルを目指して。

2023年05月29日

東海道中30

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石積みの佐奈田トンネル。明治時代のレンガ積み単線トンネルに対して、御殿場線に代わる大動脈として複線で造られたトンネル。国鉄を彩った数多の電気機関車・電車が通り抜けた道。