2024年07月10日

あおなみ22

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あおなみ線はさらに南、廃線跡ではない新規の用地を通って金城埠頭へ。工業地帯の中、貨物列車が通らない高架橋。
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2024年07月09日

あおなみ21

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野跡駅から南へ向かう高架橋。北側は高度成長期の頃から団地でしたが、駅が出来たのは半世紀も後の事。ここから南側は再び工業地帯の様相で、西名古屋港駅から分かれた貨物線はこの辺りで道路を渡って工場の中へ。何の跡も残さないまま、唐突に終わってしまう西名古屋港線の末端。
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2024年07月08日

あおなみ20

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西名古屋港駅跡を離れたあおなみ線はさらに先へ。稲永東公園の南側にある入江の築堤は西名古屋港駅から西へ分かれていた貨物線の跡で、車両基地への分岐点から先の高架橋もここまでと同じく廃線跡に造られています。
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2024年07月07日

あおなみ19

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歩道部分に残る斜め踏切の跡と専用線のゲート。再開発が進む埋立地に残る、数少ない記憶。
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2024年07月06日

あおなみ18

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割と新しい強固なコンクリート舗装の道路。斜めに曲がった側溝はかつて踏切があった頃の名残。
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2024年07月05日

あおなみ17

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西名古屋港駅から南の埠頭へ斜め踏切が3箇所連続していた道路。現代でも石炭埠頭は操業中ですが当時を偲ぶ物は少なくなりました。
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2024年07月04日

あおなみ16

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西名古屋港駅の跡地を再利用して造られた名古屋臨海高速鉄道の車庫。民営化後も残った貨物駅の西名古屋港駅でしたがコンテナ扱いがなく、コンテナが積まれた港との関わりは段々と失われていきました。
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2024年07月03日

あおなみ15

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車両基地へ降りる高架橋が分かれて地上へ。西名古屋港線の終点、貨物駅の西名古屋港駅があった場所。埋立地が拡大したりしたものの、倉庫の佇まいなど周囲はそれほど変わっていません。
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2024年07月02日

あおなみ14

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あおなみ線の電車が荒子川公園駅へ。荒子川公園は運河が荒子川に合流する予定地だった場所で、2km東にある名古屋港線が橋を渡っていた港北運河の延長。戦後に建設が始まった運河は先に造られた西名古屋港線に阻まれ、そのまま水運の時代が終焉しました。
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2024年07月01日

あおなみ13

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荒子川のガード橋は西名古屋港線のもの。1950年の開通時は周辺に農地が広がっていました。

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戦後間もない頃、打ち付けられた汽車会社のプレート。
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2024年06月30日

あおなみ12

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荒子川を渡る橋。公園の歩道となったガード橋の上にはあおなみ線の吊り橋。同じ鉄道橋ながら全く違う存在感。
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2024年06月29日

あおなみ11

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新しい高架橋は広々とした団地の中を南へ。この向こうにある港北駅は高架化された西名古屋港線が地上に降りていた部分で、中部鋼鈑の専用線が分かれる部分でもありました。高架橋の真下は西名古屋港線の廃線跡。

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国鉄時代とはプレートの意匠も変化。新しい鉄道の姿。
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2024年06月28日

あおなみ10

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ここは国鉄時代の高架橋から新設された高架橋に切り替わる部分。西名古屋港線は現在のあおなみ線下り側に線路を敷いて使っていましたが、ここから南側は西名古屋港線の左右に並んでいた複線の南方貨物線が上を乗り越して東に分岐しつつ、中央の西名古屋港線からも東に分岐して南方貨物線に合流する複雑な構造。中部鋼鈑の西端に橋脚が乱立していたのもこの構造だったためで、上下左右に入り乱れた高架橋が途切れ途切れという異様な結末に。

南へ向かう名古屋臨海高速鉄道が建設される際に再利用が不可能な構造だったため、この部分から南側は高架橋を全て撤去して再建設する事になってしまいました。

2024年06月27日

あおなみ9

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高架脇に残る地上時代の廃線跡。もう当時の面影は残っていませんが、駐車場の左角にある踏切の基部が歴史を物語っています。
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2024年06月26日

あおなみ8

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南方貨物線が途切れたまま建設中止になった一方で、西名古屋港線は踏切解消の名目で途切れていた部分を単線高架橋で繋いで国鉄末期に高架化。建設当時は高架橋と道路橋の隙間を通って、西名古屋港線がこちらへ踏切を渡っていました。
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