2019年08月11日

芝の浦7

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日の出埠頭から芝浦埠頭へ渡る運河。貨物線の跡が分かりやすい形で残る数少ない場所。

右側に道路橋を新設した際に干渉しなかったため、橋台がそのまま放置されています。
タグ:廃線

2019年08月10日

芝の浦6

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竹芝埠頭の南にある日の出埠頭。

昔ながらの倉庫が3棟だけ残っていますが、再開発前は手前側にも倉庫が並んでいました。倉庫に面した荷役線の跡、有蓋車の代わりにコンテナを積んだトラックの姿。
タグ:廃線

2019年08月09日

芝の浦5

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マストの建つ船着き場。汐留駅から分かれた支線は浜松町の東、竹芝埠頭へ。

1986年に汐留駅が廃止される少し前、芝浦駅へ向かう貨物線は1985年に廃止されました。跡地はゆりかもめに再利用されており、貨物扱いのあった当時をまるで想像できないほど変貌しています。
タグ:廃線

2019年08月08日

芝の浦4

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列車の交錯する浜松町駅の細長い空き地。東京の貨物拠点だった汐留駅の引上線はここまで伸びており、貨車や荷物車で賑わっていた場所。左上の海側にも支線があり、かつては海運との連携が行われていました。
タグ:廃線

2018年01月03日

芝の浦3

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都心環状線に覆われた川。水運のない今は屋形船のガレージ。迷宮のように入り組んだ閉鎖空間を新幹線・東海道本線・京浜東北線が音を立てて並走しました。

2017年10月23日

芝の浦2

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モノレールの下を走る東海道新幹線。芝離宮の向こうには浜崎橋JCTと日の出桟橋。ビルの向こうはレインボーブリッジ。浜松町は新幹線と海の近づく場所。海沿いを走るイメージの東海道新幹線ですが、海と一緒に見られる場所は数少ないですね。

新幹線とモノレールの間には汐留駅の引上線があり、廃止後にカートレイン用で使われていましたが更地になっています。湾岸の「ゆりかもめ」は汐留駅から竹芝・日の出経由で芝浦駅へ向かう貨物線の跡地を利用しており、レインボーブリッジの近くまで線路がありましたが、ほとんど痕跡は残っていません。
タグ:新幹線

2017年10月22日

芝の浦1

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姿を消した汐留駅。高速道路との間に広がっていた線路は、ビル群へ変わりました。今も変わらないのは、国鉄末期に走り始めた185系特急「踊り子」のみ。在来線特急で唯一の15両編成と中間グリーン車2両連結で、街並みが変わった今でも「踊り子」は国鉄時代と同じように走り続けてきましたが、185系も引退が近づきつつあります。

浜松町駅の隣にある貿易センタービルは取り壊されるため、この光景も見納めになります。別のビルが建った時には、もう国鉄最後の残り香は姿を消しているかもしれません。
タグ:185

2017年06月17日

高輪2

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線路の撤去が進む田町電車区、隅に高架橋の廃墟がありました。これは戦前の改良計画によって建設されたもので、東海道本線と共用だった横須賀線を品川駅から北で京浜東北線に合流させる計画でした。後から山手線と京浜東北線の改良工事で取り壊されましたが、一部は残ったまま。何十年もの間、どこにもつながらない高架橋がありました。

知らない人には何だかわからない廃墟と化していましたが、これも田町電車区とともに忘れ去られていくのでしょう。
タグ:廃線

2017年06月16日

高輪1

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1930年の横須賀線電車化で誕生した田町電車区。新幹線開業後も急行型や荷物電車・事業用車など様々な電車が配置されていました。品川駅の界隈は国鉄で最大規模の鉄道施設を抱えており、上下線の間に東京機関区・品川客車区・田町電車区、東の外側に新幹線東京第一運転所・貨物取扱所・品川機関区が存在。今でこそビルの並ぶ品川駅東口ですが、元は長い地下道を通った貨物取扱所の外れ。

外側の施設から再開発が始まり、EF65・EF58の一大拠点だった東京機関区も消え、最後まで残った田町電車区に手がかかりました。埋立地に生まれた鉄道の街は、わずかな電車留置線を残して全施設が消える壮絶な変化の中にあります。