2018年08月03日

工場の駅16

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183系5000番台。それまで改造車だったリゾート車と違い、1989年に新造されたタイプです。貸切リゾート輸送向けから、一般向けへと移行。ハイデッカー車でないのが逆に特徴で、荷物の多いスキー輸送を意識して造られました。

ちょうど30年前の登場で、他の183系と同じく引退するようですね。
タグ:キハ183

2018年08月02日

工場の駅15

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特急「オホーツク」に連結されたキロハ182-2。183系では珍しい、車体を改造した車両。ドアの右側にあった車販準備室が普通席に変わり、業務用室隣には喫煙コーナーが造られていました。
タグ:キハ183

2018年08月01日

工場の駅14

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苗穂運転所のキハ183-1503。

民営化直前の1986年から製造が始まったキハ183系500番台。先頭車の500番台は機関DML30HSJ搭載で電源を持たず、余剰になった長編成用の電源付中間車キハ184と組むタイプ。1500番台は小型機関DMF15HSA搭載で、従来の機器室でなく床下に電源を搭載したタイプ。

北海道の特急高速化へ貢献した気動車にも終焉が近づいてきました。
タグ:キハ183

2018年07月31日

工場の駅13

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苗穂工場に姿をとどめ続けるキハ84-1。キハ56改造「アルファコンチネンタルエクスプレス」に続いて登場したキハ80改造「フラノエクスプレス」の1両。半世紀以上前の機関DMH17Hを搭載していた老朽車で、20年も前に引退しましたが、先頭車だけ残されていました。

次々と登場した北海道のリゾート車ですが、「フラノエクスプレス」などはリゾートホテルとのタイアップで登場したため、老朽化以上にスポンサー離れの方が列車の存続に影響したようです。
タグ:キハ80

2018年07月30日

工場の駅12

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長編成を想定していたキハ183系も他の特急車と同様に短編成化される事になり、国鉄末期にキハ184を貫通型先頭車に改造したキハ183-100番台が登場しました。それまでの特急形とも急行形とも違う、独特な先頭形状。

キハ183-104は生き残っていた最後の1両でした。
タグ:キハ183

2018年07月29日

工場の駅11

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照明に照らされたキハ183-4。原番号で残った数少ないキハ183にも引退の時がやってきました。
タグ: キハ183

2018年07月28日

工場の駅10

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待機中のキハ183-211。非貫通型0番台の多くは機関をN-DMF13HZCへ換装して200番台になっていました。寝台車やダブルデッカー連結で出力増強されたのも遠い日々。

国鉄の特急形気動車では運転室後ろに冷房電源の置かれた機器室が設置されており、先頭車キハ183と中間車キハ184にも機器室があります。国鉄の標準機関では別に冷房電源が必要だったためですが、民生品の新型機関では電源も出力出来るので、キハ185以降では機器室がなくなっています。
タグ:キハ183

2018年07月27日

工場の駅9

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苗穂工場に並ぶ様々な車両。そんな中、ED79-9はここで解体される運命。苗穂工場には訪れるたびに違うED79が止まっていました。
タグ:ED79

2018年07月26日

工場の駅8

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苗穂工場で保存されてきたキハニ5005。

戦前に各地の地方鉄道ではバスとの競合が起こり、中小私鉄では信頼性の高い海外製機関を積んだ小型ガソリンカーを導入していました。これに続いて国鉄でもガソリンカーの開発が始まり、1929年に内燃機関の開発経験がないままキハニ5000を製造。客車並の重厚な車体に貧弱な国産機関の組み合わせで、実用的ではありませんでした。この車両の失敗からガソリンカーは軽快車へと進歩する事となりましたが、多くは戦時中の燃料欠乏で姿を消しています。
タグ:他DC

2018年07月25日

工場の駅7

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苗穂工場のシンボルとなったD51-237。1939年に苗穂工場で最初に造られたD51で、単なる保存車に留まらず、北海道を代表する1両。C62-3と違い、当初から苗穂工場で保存されています。
タグ:D51

2018年07月24日

工場の駅6

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急行「ニセコ」がC62からDD51へ変更されたのは1971年。C62-3は現役時代よりも、むしろ廃車後の方が波乱に満ちていました。

小樽築港機関区のC62のうち、北海道で保存を望まれたのはC62-2でしたが梅小路機関区へ転属する事になったため、代車として保存される事になったのがC62-3。青函トンネル開通・北海道新幹線延長とセットで札幌に博物館建設が計画されましたが、オイルショックで新幹線も博物館も停滞。保存場所が決まらないまま年月を経て、1977年にようやく手宮駅の北海道鉄道記念館へ搬入。小樽を離れないまま年を重ねてきましたが、民営化後の1988年にブームで復活しました。しかし、大型機の維持は経済的にも難しいため、早くも1996年に動態保存が終了。そのまま苗穂工場で保存されてきました。

C62-3は北海道鉄道100周年で造られた小樽の記念館へ戻らず、10年以上も工場の片隅で静かに過ごしています。
タグ:C62

2018年07月23日

工場の駅5

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北海道では札幌貨物ターミナル駅以外に入換機が必要なくなっていましたが、HD300-500番台の予備としてわずかにDE10が残っていました。DD51-1150とともに鷲別機関区から苗穂工場へ来たDE10-1125もその1両。窓が暖地仕様のままですが、元は宇都宮運転所からの編入車。国鉄時代に新庄機関区所属で寒冷地仕様だったはずですが、民営化後に旋回窓を外され、そのまま北海道へとやってきたようです。
タグ:DE10

2018年07月22日

工場の駅4

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DD51運用廃止と鷲別機関区廃止で苗穂工場へと送られてきたDD51-1150。

灰と紅の塗装は機関を換装した更新機。40両近く存在していた北海道のDD51でしたが、DF200への置換で数を減らし、20両以上の大所帯だった更新機も終焉。皮肉にも先に本州へ移転していた未更新機の方が長生きする事となりました。
タグ:DD51

2018年07月21日

工場の駅3

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苗穂運転所に止まるDD51-1140。寝台急行「はまなす」用の単機でも「重」の札を入れたままにするのが常態化。今は北国のDD51も姿を消してしまいました。
タグ:DD51

2018年07月20日

工場の駅2

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苗穂運転所に並ぶキハ183系。

大出力機関搭載のキハ181系では故障が多かったため、出力を抑えたキハ183系900番台の長期試験を経て、1981年の石勝線開通とともに登場したキハ183系量産車。搭載機関のDML30/DMF15系列は1966年の試作車キハ91から続くもので、発展を続けていた国内の産業界では当時既に旧式化。キハ183系は標準機関を搭載した最後の特急形気動車となり、民営化に向けて高性能な民生品を多用する時代へと変わりました。
タグ:キハ183