2018年09月30日

東部工業団地6

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倉賀野駅に残るセメントホーム。

少し前まで鉄道では工場からセメントを各地の中継拠点へ大量に運んでいました。高度成長期が終わり、中継拠点の稼働率も低下。ホース類まで残っていますが、既に線路は貨物線と繋がっていません。運搬する貨車も関東地方から消滅。

年月を経ても地面に白く残ったセメントの跡が、かつて大量輸送が行われていた時代を物語っていました。
タグ:廃線

2018年09月29日

東部工業団地5

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倉賀野駅に止まるDE10-108。DE10-0番台ではなく、元は衣浦臨海鉄道のKE65-5。武豊線で衣浦臨海鉄道の2代目KE65-5を見かけましたが、初代は倉賀野駅へ流れ着いていました。

元々、臨海鉄道の規模に比べてDE10タイプは過剰気味で、1984年の国鉄貨物縮小にあわせて2両のKE65が転換直後の樽見鉄道へ移転。TDE10-3となっていたKE65-5は数年で放出され、運送会社に引き取られて倉賀野駅へ。なお、衣浦臨海鉄道で2代目が導入されたのは、新規にホキ1000の輸送開始などがあったためです。

各地から国鉄のDE10が消える中、数奇な生まれのディーゼル機関車が北関東で生き残っていました。
タグ:DE10

2018年09月28日

東部工業団地4

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運送会社の管理するDE10-1142。少し古ぼけたガレージに、車と並べて止められていました。
タグ:DE10

2018年09月27日

東部工業団地3

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倉賀野駅から分かれた貨物線の終端部。珍しい逆扇形で、奥の引上線から戻す形で貨車を扱う構造です。引上線が廃線跡を再利用した部分ですが、その先の廃線跡はほとんど残っていません。
タグ:DE10

2018年09月26日

東部工業団地2

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倉賀野駅から分かれた貨物線は少し先の貨物基地へ。戦後すぐに廃止された貨物線を1960年代に石油施設の連絡線として再利用したものです。

セメント、自動車など各種貨物に対応していましたが、現在は他と同様にコンテナと石油のみ。どちらかと言えば静かな駅になってしまいました。
タグ:線路

2018年09月25日

東部工業団地1

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屋根のない石積みの低いホーム、止まっているのはEH200-16。高崎操車場は縮小されたものの、倉賀野駅は貨物拠点として存続しています。
タグ:EH200

2017年01月09日

山と平地と1

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高崎駅で並ぶ115系。段々と廃車が進んでいるようです。湘南色と言っても近郊型では急行型よりもオレンジ部分が広く、113系では先頭下部の緑が斜めだったのに対して115系では垂直になり、形式ごとに違いがありました。

115系自体でも初期型と後期型で違いが多かったです。典型的だったのは、運転室でしょうか。先頭車を中間に組み込む際、後期型では客室との仕切り戸を助士席側に閉じ、運転席側は内臓の引き戸で閉じる構造。一方、初期型では仕切り戸を運転席側に閉じ、助士席側の壁全体が動いて乗務員扉を塞ぎ、助士席部分が広いスペースに変わる構造。子供の頃はよくここに荷物を置き、運転室のメーターを眺めていました。
タグ:115