2018年11月29日

京浜工業地帯9

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海を見ながら走るDD55-17。海辺の道路と平行する臨海鉄道は工業地帯の情景でしたが、見られる場所も限られてきました。工業地帯ながらのんびりしていた、水江線を見た最後の時。

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何もない神奈川臨海鉄道水江線の終点・水江町駅。右側の大通りを挟んで日本鋼管の敷地が広がっており、そちらにも塩浜操車場の南から分岐した専用線が繋がっていました。京浜工業地帯に点在する日本鋼管は独自の専用線で網羅されていて、鍋型の専用車と国鉄の貨車を一緒に見られましたが、沖合の扇島へ製鉄が移転。大規模な専用線は全廃され、専用線の痕跡は全く残されていません。
タグ:廃線 DD13

2018年11月28日

京浜工業地帯8

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神奈川臨海鉄道水江線には貨物列車が存在せず、敷地には専用線などから撤去された資材が散乱。高度成長期を支えた臨海鉄道でしたが、消えた足跡は段々と失われていきます。
タグ:廃線 DD13

2018年11月27日

京浜工業地帯7

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塩浜操車場の南から分岐していた神奈川臨海鉄道水江線。専用線は廃止されており、かなり以前から貨物列車は存在しませんでした。しかし長らく廃止されず、訓練用なのか機関車の往復が継続。最近になって水江線が廃止されたため、大通りを渡る踏切も撤去されています。
タグ:廃線 DD13

2018年11月26日

京浜工業地帯6

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塩浜操車場の中央から分岐した後、沖合の扇島へ向かう道路と平行する方が千鳥東線で、道路を横切って工場に隣接した千鳥町駅へ辿り着く方が千鳥線。神奈川臨海鉄道の千鳥町駅から周辺の化学工場へ専用線が伸びていた他、西側の倉庫街を通って外の埠頭を半周していました。

埠頭の線路は単線に減らされて、船積み時しか使われない状態。専用線は全て無くなり、今はコキ200に積まれたタンクコンテナしか見られません。
タグ:コキ

2018年11月25日

京浜工業地帯5

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タキ1000-374に連結された移動機No46。各地の石油専用線に存在していた移動機でしたが、すっかり数も減りました。40両以上存在していた別ナンバーは、もうほとんど現存していないかもしれません。
タグ:タキ 他DL

2018年11月24日

京浜工業地帯4

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アクアラインに向かう高速道路のある埋立地、円筒タンクの隣にある荷役設備。1両ずつ切り離してタキ1000が並んでいます。


1箇所で荷役可能なパイプ接続されたタンク編成も試作されましたが、国内では実用化されないまま、1両単位の荷役が続けられています。小さい2軸車から3軸台車の大型車まで、様々な石油タンク車が並んでいた荷役設備には、統一されたフレームレスしか来なくなりました。
タグ:タキ

2018年11月23日

京浜工業地帯3

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塩浜操車場の北側から分岐する神奈川臨海鉄道浮島線。駅とは名ばかりの分岐点・浮島町駅から分かれた浮島支線は製油所の脇へ辿り着きます。

貨車の止まる非電化路線、工場と送電線、いかにも臨海鉄道らしい情景。
タグ:タキ

2018年11月22日

京浜工業地帯2

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塩浜操車場が姿を変えてもなお残った神奈川臨海鉄道の塩浜機関区。

神奈川臨海鉄道のDD55は外観を変更しているものの臨海鉄道で標準的なDD13タイプ。国鉄のDD13登場から間もない1964年に製造が始まり、1981年まで導入が続きました。
タグ:DD13

2017年06月28日

京浜工業地帯1

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三渓園の隅にある市民公園で保存されてきたD51-516。製油所が出来るまでは海岸だった場所で、風光明美な海水浴場だった本牧は埋め立て地へ変貌。D51は高度成長期から、ここで開発の光と影を見つめてきました。

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隣に移設された転車台。高島駅の横浜機関区で使われていたものです。物言わぬ歴史の遺産は、地層の見える段丘で眠りについています。
タグ:D51