2023年08月12日

千曲25

b12.jpg

線路が無くなり、木が生えた敷地。それでも残っている架線柱と信号機。
タグ:廃線

2023年08月11日

千曲24

b11a.jpg

屋代駅の隅に造られた工場。長野電鉄の部分廃止後もホームなどの線路が残されており、工場の出入り用に屋代駅と繋がっています。
タグ:線路

2023年08月10日

千曲23

b10.jpg

線路が部分的に残されている長野電鉄の屋代駅。跨線橋が長野電鉄のホームにも繋がっていましたが、長野電鉄の部分のみ解体されてしまいました。
タグ:廃線

2023年08月09日

千曲22

b09.jpg

屋代駅の裏に残る4・5番線ホーム。長野電鉄の起点だった場所で、ここから須坂駅までの区間は廃止。今も使われている2・3番線ホームからは国鉄の急行「志賀」が乗り入れていました。
タグ:廃線

2023年03月19日

河東13

c19.jpg

地域の足として、観光の道として。山々を背に、高地の街を繋ぐ長野電鉄。
タグ:私鉄EC

2023年03月18日

河東12

c18a.jpg

第三軌条集電の地下鉄から脱却して乗り入れ用に架空線を採用し、時代を先取りしたセミステンレス車体の営団3000系。見た目ではあまり変化がわかりませんが、既に製造から50年以上経過し、中古車としての役目も終わる時が来ました。

c18b.jpg

経済性を考慮した無塗装車体に軽量空気バネ台車。地下鉄特有の小窓は隙間を減らして戸袋への巻き込み事故を防止するため。日比谷線で導入されたATC・誘導無線は後の鉄道に多大な影響を与えました。
タグ:私鉄EC

2023年03月17日

河東11

c17a.jpg

須坂駅ホーム端にある100周年記念の石碑。河東鉄道は開業時に蒸気機関車を導入し、電化まで5年だけ使われました。

c17b-4.jpg

100年前の国産蒸気機関車は加悦鉄道へ。信州での使用は短かった小型機、加悦鉄道廃止後、現地で保存されていました。
タグ:他SL

2023年03月16日

河東10

c16.jpg

須坂駅ホーム端のオブジェ。並べられた転轍機や車輪は往時の名残。様々な駅、様々な場所に存在していたドラマ。
タグ:

2023年03月15日

河東9

c15.jpg

3000系と交代したアルミ車体の営団03系。軽量合金の地下鉄車も今は地方の主役。
タグ:私鉄EC

2023年03月14日

河東8

c14.jpg

東急車に混じって留置されている営団3000系。1960年代と1970年代で世代が異なるステンレス車体。
タグ:私鉄EC

2023年03月13日

河東7

c13a.jpg

廃線後に整備された公園。実際には右側の砂利敷きが廃線跡で、残された線路は保線用だったもの。

c13b.jpg

河東線の廃線跡では線路の撤去が進み、踏切の路盤やガード橋しか残っていません。
タグ:廃線

2023年03月12日

河東6

c12.jpg

河東線須坂以南廃止後に用地を再利用した駐車場。陸送されてきた電車を併用軌道上で台車交換可能で、廃線で信越本線から分断された状況を象徴するような設備です。
タグ:

2023年03月11日

河東5

c11.jpg

須坂駅の南、正面が廃止された河東線屋代方面、右へ曲がる方が長野線長野方面。長野発着がメインになった後も国鉄からの急行乗り入れが河東線経由で行われていました。信越本線非電化時代はアプト区間対応の急行形気動車キハ57、1963年の電化後は急行形電車165系、さらにEF63協調運転対応の169系による急行「志賀」が1982年まで上野・湯田中間を直通。併結でなく単独運転の優等列車乗り入れは珍しく、観光輸送・地方私鉄乗り入れの代表格でした。

上野駅から169系がやってきた線路は途切れて、留置線に変わっています。
タグ:私鉄EC

2023年03月10日

河東4

c10a.jpg

須坂駅の駅舎寄り、使われていない5番線。結局、長野発着がメインルートになってしまったため、廃止前から河東線の松代・屋代方面は須坂発着の区間運転のみ。4・5番線は長野方面に繋がっていないため、狭い5番線は閉鎖されてしまいました。

c10b.jpg

河東線の屋代・木島間が1925年に開通した後、信州中野駅から志賀高原へ向かう山の内線と須坂駅から長野駅に乗り入れる長野線が開通。河東線は木島駅、山の内線は湯田中駅までで、以降に延伸される事はありませんでした。屋代・須坂間と信州中野・木島間は廃止されて1路線に統合されましたが、須坂駅は地域の中心地として存在しています。
タグ:

2023年03月09日

河東3

c09.jpg

千曲川東側に位置する須坂駅。今も長野電鉄の車庫と工場がある拠点。

信越本線長野駅の南、屋代駅から飯山・野沢を目指して1922年に開業した河東鉄道が長野電鉄の母体。長野駅の北に位置する豊野駅から千曲川の西側を平行する飯山鉄道が1921年に開業済みで、1926年に電車化、社名の変更、1928年には須坂駅から長野駅まで支線を伸ばして対抗しました。
タグ:私鉄EC