2024年11月09日

湖畔の道7

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琵琶湖疎水を渡る京阪石山坂本線。琵琶湖から分かれた水道は向こうの山をトンネルで抜けて京都の街へ。
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2024年11月08日

湖畔の道6

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三井寺駅で唐突に終わってしまう併用軌道。脇に逸れる小さな道路、ここが大通りでなかった事に気付かされます。
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2024年11月07日

湖畔の道5

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実は偏った位置にある併用軌道。当初は単線だったのか、もしくは専用軌道を埋めて道路に変えたのか…。電柱のように架線柱が道端にある、浜大津の道路。
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2024年11月06日

湖畔の道4

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道路のほぼ全てが軌道敷。これで問題ないのは、ほとんどの自動車は向こうから左の大通りに直進するためで、鉄道の方がこちらの脇道へ逸れている形になっています。
タグ:路面電車

2024年11月05日

湖畔の道3

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浜大津駅から西の京阪石山坂本線。石山坂・本線と読みたくなりますが、蛍谷の石山寺と比叡山麓の坂本を結ぶ路線。路面電車のイメージがあるものの、併用軌道は浜大津駅付近のみで路上の停留所もありません。道路そのものは狭くないのですが、複線を通すにはギリギリで、どの街の路面電車とも違う雰囲気があります。
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2024年11月04日

湖畔の道2

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かつて路面電車の標準軌と貨物線の狭軌が存在していた浜大津駅。

大津電車軌道と京津電気軌道は京阪電鉄と合併して石山坂本線と京津線になったものの、駅は1981年に改築されるまで別々でした。また、向こうのビル部分は国鉄と接続していた江若鉄道の跡。琵琶湖西岸の地方私鉄は1969年の廃止まで石山坂本線の共用区間に乗り入れていました。
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2024年11月03日

湖畔の道1

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湖畔で空が広い、びわ湖浜大津駅。

東海道本線は1880年の建設時に工事の遅れから長浜・大津間を琵琶湖の鉄道連絡船で結んでおり、その際の大津駅がこの場所。京都側から今の膳所駅で折り返す形でしたが、1889年に米原側と鉄道が接続。支線となった後、狭軌に標準軌を足した3線軌条で1913年に大津電車軌道が開通。国鉄の浜大津駅は貨物駅となって1969年まで蒸気機関車が乗り入れていました。
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2024年11月02日

逢坂11

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京阪京津線は琵琶湖の湖畔から坂道を登って、逢坂の峠を越える短い旅。長い路面電車は地下鉄に変わり、二条城の横を通り抜けた先の終点を目指して。
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2024年11月01日

逢坂10

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市街地の中央を横断するアーケード街。横断歩道の中央を横切る軌道と頭上の架線が珍しい、湖畔の街。
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2024年10月31日

逢坂9

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東海道に沿って、下をくぐって、踏切で渡って、上栄町駅を出て坂道の途中から併用軌道になる京阪京津線。京都市内の併用軌道は地下鉄になりましたが、大津市内は今もそのまま。
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2024年10月30日

逢坂8

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京阪京津線は東海道に沿って登坂。路面電車・登山鉄道・地下鉄と姿を変える4両編成。
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2024年10月29日

逢坂7

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関蝉丸神社の入口は京阪京津線の踏切。大津の街から京都へ峠を越える逢坂の道端。
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2024年10月27日

逢坂5

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東海道本線を乗り越す京阪京津線。すぐ向こうの斜面から先が旧線に代わる長い新逢坂トンネルで、手前は陸橋・トンネルどちらにも見える上関寺トンネル。明治時代の無骨なトンネルに比べて優美な大正時代のレンガ建築は、東海道本線の新線が既に開通していた京津電気軌道をくぐるために造られたもの。

2024年10月26日

逢坂4

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道路脇の水路を橋もなく、レールだけで跨ぐ京阪京津線。東海道は大津市街から逢坂山へ。湧水は琵琶湖へ向かって流れていきます。

京阪京津線は1912年に京都の三条と大津を結ぶ京津電気軌道が前身。北回りで街を結ぶ軽快な電車の登場は、勾配に悩まされていた東海道本線の新線切り替えに少なからず影響を与えたのかもしれません。
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2024年10月25日

逢坂3

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京阪京津線のすぐ隣に残るレンガの橋台。逢坂山トンネルを出た東海道本線はここで道路を跨いでいました。廃止から100年もの歳月で地形も変化しましたが、レンガの壁だけは奇蹟的に残されています。